砂浜の記憶 西湘バイパスの工事 「砂上の楼閣」 開通後の浜辺 さらに狭まった砂浜 観光名所になっているが… 砂浜の記憶 花火や大松明の話題の中で、何度か西湘バイパスの話をした。西湘バイパスの着工が1964年、最初の区間が開通したのが1967年だから自分が小、中学生の頃だ。 生家は小田原の海の近くにあり、小学生時代にはよく近くの砂浜で野球もどきの遊びなどをしたものだ。今考えると走りにくい砂浜でズックが砂まみれになりながらよく遊んだなあと思う。 子どもの時の記憶だから、実際はそれほど広くなかったのかももしないが、堤防から波打ち際まで50~100メートルはあったような気がする。 そこで凧揚げをしたり、ブーメランを投げたり、堤防の上から竹ひごと紙で作った模型飛行機を飛ばしたりした。 当時の遊び場は近くの稲荷や神社の境内などもあったが、広い遊び場と言うとやはり砂浜で、単に「浜」とよんでいたような。