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1863年8月18日の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 坂本龍馬は武田鉄矢に怒られるほどの[人物]だったのか?

    天保6年土佐の富裕な郷士坂本家に生まれる 坂本龍馬は1836年の11月15日、土佐の郷士(ごうし)坂本八平(さかもとはちへい)の次男として生まれます。長男は権平、姉は千鶴(ちづる)、栄(えい)、乙女(おとめ)がいて龍馬は末っ子でした。元々、坂本家は商家で質屋、造り酒屋、呉服商を営み郷士株を買って侍身分になりました。竜馬というのは通商で諱(いみな)は直陰(なおかげ)、後に直柔(なおなり)と改めています。 漫画などでは、寝小便垂れのアホの子として描かれますが、寝小便については、当人が手紙で認めているものの、具体的なアホエピソードはないようです。ただ、実母が龍馬10歳の頃に病死しており、その精神的ショックで寝小便や、学問に身が入らないという事はあったかも知れません。主な教育は姉の乙女が引き受け龍馬を鍛えましたが、実は龍馬の視野を広めたのは漫画にはあまり出ない、父八平の後妻、伊与の前夫の実家、川島

      坂本龍馬は武田鉄矢に怒られるほどの[人物]だったのか?
    • 尊王攘夷とは?中心人物や尊皇攘夷運動をわかりやすく解説!反対派についても

      幕末から明治維新にかけて志士たちの間で一世を風靡した『尊王攘夷(そんのうじょうい)』。 『尊王』すなわち君主ないし天皇を尊び、『攘夷』すなわち異人、つまり外国人を追い払えというもの。 このような考え方を持つ人間たちが、のちに倒幕へと傾き、そして明治維新の中心人物になっていくのですが、 なぜ、このような考え方が起こったのか!?またその意味は!!? なぜ攘夷が倒幕にすり替わったのか!? 中心人物は!? なぜ公武合体と相容れなかったのか!? 詳しく解説していきたいと思います! 『尊王』とは、もともと幕府が支配するうえで取り入れていた儒教の思想から来たもの。 王をトップとし、仁徳による統治を『王道(おうどう)』、その統治による王を『王者(おうじゃ)』。 これに対して、王以外の人間が武力や策略等の力技や寝技で支配していく統治を『覇道(はどう)』、覇道によりトップについたものを『覇者(はしゃ)』といい

        尊王攘夷とは?中心人物や尊皇攘夷運動をわかりやすく解説!反対派についても
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