5.「青山純がいるのに」誰もがそう思った 実質二ヵ月位しかない三学期は瞬く間に過ぎた。その間クマは、オリジナル全8曲からなる一人多重録音のテープ第二弾を、極一部の学友諸君に対し緊急発表し、アグリーも新曲を二つ作った。 アグリーは20世紀最大のメロディーメーカーを目指すと豪語するだけあって、結構キャッチーなメロディーラインを得意としており、それはクマも認めざるを得ないところで、二人の関係は辛うじて「音楽」を通じて繋がっていた、と言っても過言ではないだろう。 一方、アグリーはクマのアレンジセンスや演奏技術に一目置いていた。かって高校1年当初、クマが学校に愛用のギター(S.ヤイリ YD-304)を持って行き、休み時間ケースから取り出すと、すかさず5~6名の男子が集まった。その中でクマがおもむろにP.サイモンの「休戦記念日」というDチューニング(DADF#AD)を使った曲を弾き始めると、一人「サイ