微笑みの鬼軍曹〜関根潤三伝 証言者:基満男(後編) 前編:基満男は高木豊を起用した関根潤三に憤慨はこちら>> 大洋移籍後の80年には打率.314をマークし、ベストナインを獲得した基満男この記事に関連する写真を見る 【不穏な空気のまま始まった83年シーズン】 1983(昭和58)年、基満男はレギュラーの座を高木豊に奪われた。多少の衰えを感じつつも、「まだまだレギュラーとして活躍できる」という自負はあった。それでも、大洋ホエールズ監督就任2年目となる関根潤三は、セカンド定位置の座をプロ3年目の高木豊に与えた。基の言葉を借りれば「与えた」のである。前編で紹介した生前の関根が出版した『若いヤツの育て方』(日本実業出版社)には、この頃の基満男についてこんな記述がある。 ベンチを暖めることが多くなった基は、当初、激しい不満をもらしていたようだ。"試合に出てなんぼ"のプロ野球にあって、スタメン落ちは生活