「ああーッ、良い空気だ。それに見晴らしも良い。こんなに雄大な景色を見ながら人生の一巻を終わるなんて、他の誰に出来るってんだ?フフフ…アーハハハ…アッハ…ハ…」(同上) 「助けてくれッ!人類も動物も…生きるものがひとつ残らず死んじまった後で…僕だけが生き残って、一体何の楽しみがあるんだ?何の生き甲斐が?」(同上) 「今私たちは、あなたがた人間が素粒子と呼んでいる極小のつぶへ向かって縮んでいくのです。次に今度は極大の世界へ!宇宙はひとつの粒子に過ぎないのです」「宇宙生命!」(同上) 「わしに生物の進化をもう一度繰り返させろというのか。生物が現れて何十億年もの間にゆっくりと進化し、おしまいに人間に進化するまでわしに見守れというのか!?そ、それはあまりにむごい。海よ、わしのこの贈り物を受けてくれ。つまらぬ炭素と酸素と水素の混ざりものじゃ」(同上) 「でも今度こそ」と火の鳥は思う。「今度こそ信じたい
今日は久しぶりの雨。朝は小降りかと思ったら、次第に雨が激しくなり、本降りになりました。夕方にはまた小降りになり、夜遅く霧雨に変わりました。雨は今日中に上がり、明日はまたいい天気になるといいます。 そんな一日、帰りになんとなくいつもの書店に立ち寄りました。大型書店は一巡するのに、30分以上かかります。行きつけの書店なので、見るべき所はすでに決まっています。時々道草をしますが、これもまた愉しい。 今日は先にブログで取り上げた鈴木清写真集『流れの歌』を見ました。確かに飯沢耕太郎さんのいう<映像の「純文学」>という意味がなんとなくわかったような気がしました。 鈴木清さんの写真はモノクロのせいか、全体に暗く、重い。その写真から、当時の人々の暮らしが、人の喜怒哀楽が瞬間の絵になっていました。それでも、人は生きている! という写真集でした。 それから、また書店の棚めぐり。この書店は各ジャンルごと、いろい
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