いくつかの要因がつながったので、途中経過としてメモしておく。*1 今日のエントリーは全体でひとつ。 *1:引用箇所の強調はすべて引用者 メールによる内藤朝雄氏(id:suuuuhi)のご指摘から、「他者のリベラリズム」というテーマを得る(ありがとうございます)。 あらためて氏のブログを見直してみると、以下のような記述が。 わたしが関わってきたいじめ問題で例を出せば、いじめの被害者は、「みんながもっとおたがいとこころの距離を縮めておもいやりを持つようになればいじめはなくなる」と絶唱することがある。わたしは「ちがう」と言い放つ。被害者がそういう信念をもつことと、わたしが「ちがう」と言うことはまったく矛盾しない。両方ともそれぞれの主導性(個人がその人生において自己をその発動の中心点として自己の信念を生きる権利)が確保されていればよいのである。戦争で肉親を失った被害者の組織である遺族会が、当の戦争
![2005-11-08](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)