痛い、苦しい、暑い、怖い・・・といった不快感。 一般的には誰しもが不快を避けて、快を求めて生きている。 快を求めているものの、環境は自分都合の快適であり続けることはないから、「不快」はどうしても消え失せることがない。 また、人生は、何らかの負荷をかけないと生きていけないものではあるから、負荷がかかった時に感じる様々な「不快」はどうしても消え失せることがない。 この消えることのない不快感に対して適切な向き合い方はないものだろうか? と、ふと思ったことがキッカケで、それを人間が持っている「ホメオスタシス」や「廃用性の萎縮」を理解することを通して考えてみた。 便利を追い求める時代は終わる? 便利を追求してきたのがここ数十年の現代生活と言ってもよいかもしれない。 便利、手間を省くために、あるいは、楽を求めてそのために必要な物やサービスを買い求める。 この便利の追求がまさに快を求めることのわかりやす