しばらくして、飛騨工は河成を自宅に誘った。 「ちょっと、おもしろいものを造ってみたんですけど、おいで願いませんか?」 この間、会ったときと比べたら、まるでトラがネコに変わってしまったようである。 河成は気味悪がったが、 「ぜひぜひ」 余りにしつこく勧めるので、仕方なく行くことにした。 「おもしろいものって、いったい何を造ったのかね?」 河成がおそるおそる尋ねてみると、飛騨工がやけにニタニタしながら言った。 「お堂ですよ。それで、あなたに堂内に絵を描いていただきたいんですよ」 河成は安心した。 「そんなことなら、お安い御用だが―」 なるほど、飛騨工の邸宅の庭には、真新しいお堂が一軒、建てられていた。 一間四方の大きさで、四方に戸がついている。 それにしてもさすがは天下の名大工、ついぞそこらで見かけないしゃれたお堂である。 「ほほう。変わったお堂ですなぁ」 「中も変わってますよ。さあさあ、どう
初め、姓を余(あぐり・よ)といった。百済姓に改めたのは、五十九歳のときである。 余氏は百済では王族の流れをくむ高官の家系だったらしいが、日本での立場は低かった。ただ、亡国で身に付けた技能才能を生かし、経師(きょうし。写経アルバイター)・校生(こうしょう。校正)・陰陽師(おんみょうじ。気象予報士・祈祷師。「安倍味」参照)などといった、ちょっとした専門事務職につくものが多かった。 中には武人もいた。 奈良時代の官人・百済足人(たるひと)は、蝦夷平定に従軍し、雄勝城(おがちじょう。秋田県大仙市・美郷町)や桃生城(ものうじょう。宮城県石巻市)の築城に携わった。武人というより、建築技術に秀でていたようである。 足人の系統だったのかは分からないが、河成は少年の頃から武芸に優れ、腕力があった。特に弓の腕前は天下一品だったという。 「弓の上手な少年がいるそうだ」 そんなうわさが立ち、河成は左近衛舎人(さこ
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