その師直が病気になった。 南朝の大元帥(だいげんすい)・後醍醐天皇が没した二年後の興国二年(1341 北朝は暦応四年)の春のことである。何の病気かは分からないが、それほど重くはなかったらしい。 にもかかわらず、見舞い客は大勢やって来た。 何しろ尊氏の実弟・直義と並ぶ北朝のナンバーツーが病に伏せたわけである。 「高様が御病気だそうな」 「それは見舞いに行かないとまずいな」 「御機嫌取れば、何かもらえるかもしれないぞ」 その晩も師直は、日ごろ世話してやっている家来、これから世話してもらいたい野心家たちから接待を受けて上機嫌であった。 その晩の趣向は「平曲(へいきょく)」。 琵琶法師が琵琶を伴奏に『平家物語』を語る芸能である。 語り手は、当代一流の琵琶法師・明石覚一(あかしかくいち)と真都(しんと)。 * * * 仁平(にんぴょう・にんぺい 平安末期の元号)の
今年(平成十五年)も昨年十二月同様、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)を取り上げたい。 「仇討味」において、私は大米帝国アメリカの報復を赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入りになぞらえて皮肉り、仇討(あだう)ちはその連鎖を呼ぶだけだと、声を小にして警告したつもりであった。 また、「窮地味」において、アメリカはイラク戦争には勝てたが、戦いを止めることができない泥沼に陥ってしまったと吐き捨てた。 イラク戦争を起こしたのは、アメリカのブッシュ大統領であり、チェイニー副大統領であり、ラムズフェルド国防長官であり、ウォルフォウィッツ国防副長官らである。 五月一日、ブッシュ大統領は空母リンカーン艦上で一方的に勝利を宣言したが、未だにイラク国内外で連日のようにテロが起こり、建物は壊され、人が殺されている。 「イラクを日本のようにしてやる」 アメリカは言っていたが、不可能極まりない。 日本が敗戦後、あんなにすんなりアメ
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