レイモンド・チャンドラー【Raymond Chandler 1888-1959】 シカゴで生まれ幼くして母とともに渡英。イギリスでの教育と生活が後の作風に大きく影響していると言われる。25才で再びアメリカに戻り、会社の役員などを経た後、パルプマガジン作家となった。その美しく抑制の効いた独特の文章は「チャンドラリアン」と呼ばれる熱狂的なファンを生み出した一方で批判も多く存在する。映画産業に強い感心を抱き、脚本の仕事に専念した時期もあったが、映画界のビジネス優先の体質は彼を疲弊させただけだったという。 リストの枠の色は■青■は短・中篇小説を、 ■赤■は長篇小説を、■緑■はハードボイルド以外の小説をそれぞれ表しています。尚、エッセイなど小説形式でないものは掲載しておりません。また、グレーで表記されているものは現在絶版となっていると思われる刊行物、原題の後に★のついた作品は長篇にそのプロットが流用