この春トルコへ旅行に行ってから、僕はずっと考えていた。非日常の旅行の中で感じたはずの自分の変化について考えていた。日常の生活の中で折に触れて思い出すあの一週間のことについて、僕の中でどう消化しどう昇華できたのか考えていた。そして、結局僕はあの旅行中、なにも考えていなかったのではないかと結論付けるに至ったのだ。トルコの最後の一日を振り返りながら、なにも考えていなかった自分のことを考えてみようと思う。 この記事は、以下の4エントリより続く、僕と妻のトルコ旅行記の最終回となります。 「トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1)」 「カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2)」 「サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3)」 「飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記その4)」 4月9日 金曜日(7日目) 簡単に、これまでの経路を振り返っておこう。 ドバイ経由で
この記事は「トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) - 紺色のひと」 および 「カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2) - 紺色のひと」の続編です。 トルコ旅行も中盤に差し掛かっている。カッパドキアを後にした僕たちが向かうのは、首都アンカラの北200kmに位置するサフランボル。サフランボルとはたくさんのサフラン、という意味だという。(サフランボル - Wikipedia) 僕は友人から聞いてこの町を知った。彼は僕の大学時代の友人で、一年間休学し、バックパッカーとしてシルクロードを西へ向かう旅をした。素晴らしい写真とたくさんの体験談、大きなアズキ色のストールを土産にくれた。写真の他に魚捕りという趣味が共通していた僕たちは、現地の漁師に投網の投げ方を教えてもらった、とか、ゆかいな話をたくさんした。今回のトルコ行きの計画立案時、彼に連絡を取った。「いわゆる観光地を周る
この記事は「トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) - 紺色のひと」の続編です。 4月5日 月曜日(3日目) 朝6時30分、僕は携帯電話のアラームで目を覚ました。トルコはイスタンブール、観光地のど真ん中にある小さなホテルの一室。前日は飛行機の中で眠ったり目覚めたりを繰り返していたせいか、昨晩は横になった瞬間に眠りに落ちたような気がする。隣の妻はぴくりとも動かない。喉の渇きを覚え、枕元のペットボトルを手に取ると、薄いカーテンが窓ガラスに貼り付いていることに気付いた。ひどく結露している。身を起こして洗濯物を触ると、まったく乾いていなかった。念の為にバスルームの換気扇を回してそちらにも干していたが、大して状況は変わらなかった。部屋の造りと気候のせいだろう、完全乾燥は期待していなかったのでさして落胆もせず、僕はさっさと自分の湿った洗濯物を丸め始めた。 妻を起こし、身支度を整え
妻がトルコへ行きたいと言った。彼女が何処其処へ行きたい、というのはごく日常的なことなので、いつ言われたのかは覚えていない。 「子供を産んだり、今後人生に転機が訪れたら、きっと遠くへ行くのは難しくなると思うの。私、トルコに行きたい」 その話を聞いたとき、僕には反対する理由も、賛成する理由もなかった。「ああ」とだけ返事をした。あえて言うのであれば、賛成する理由は妻が喜ぶこと、だ。とにかく、僕は積極的ではなかった。なぜかと言えば、語学力に甚だ自信のない僕にとって海外に行くというのはひとつの恐怖であったし、国内に行きたいところがあまりに多すぎて海外の旅先のことなどほとんど考えたことがなかったのだ。 なんでトルコなの? 僕が聞くと、妻は「だって三大美食のひとつだし」と言った。言い切った。正直なところ、その程度の理由で海外に行きたいという欲求が成立し得るのかは非常に疑問だったが、旅のみならず日常生活に
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