ポジティブで柔軟性に富んだ指導法は甲子園常連校のそれとは一味もふた味も違うものがある。 そして松本監督の強いリーダーシップは野球のみならず、あの東日本大震災の時にもいかんなく発揮していた。 経験もしたことない緊急時に松本嘉次氏はどんな行動をとったのか? 石巻工業・松本監督の記事を最初から読む 東日本大震災で1500人を動かした松本嘉次監督 現在、仙台工で野球指導に当たり、宮城県高野連副理事長として県の高校野球に尽力している元石巻工の松本監督。 今も相変わらずの存在感で、いつもたくさんの人に囲まれ、多方面でご活躍のようである。 そんな松本監督に3年前に東日本大震災のときの話を聞いたとき、強烈に印象に残ることがいくつかあった。 あのとき、松本監督は石巻工の正門前に建つアパートにかけつけ、 1階に住むおばあちゃんを背負って胸まで水に浸かりながら、 ぎりぎり2階へとかけ上がった。1階はみるみる水没