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時間に関するrrmmjjffのブックマーク (2)

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1212.html

  • 人間的時間 - 内田樹の研究室

    大学で昼から会議があるので、ブログを途中まで書いて、大急ぎで投稿してしまったが、もちろん、こんな説明では誰にも意味がわからないであろう。 どうして、押韻とアナグラムは「時間的現象」であり、私たちはそれをうまく語る時間論を持っていないのか。 それについてご説明しよう。 ある行末に fountain という語を置いたら、次の行の末尾は mountain が選好されるというふうに韻が選択されるとしたら、それはずいぶん詩作において不自由なことではないか。 福原麟太郎は英国の詩人たちにそう問いただした。 答えは「ノー」であった。 なぜなら、二行並韻は「いっしょに来る」からである。 因習的に、時間意識というのは直線的に「過去から未来に向けて流れる」と考えると尾韻は音楽的な響きの代償に詩想を制限するものとして現れてくる。 末尾の同音が二行続くことの代償に、詩想が制約されることは、どう考えても不利なバーゲ

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/03/05
    「あとで考える」品物ではないわけですね。
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