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承認欲求に関するruna_wayのブックマーク (12)

  • あなたに認めてほしかった、私の承認欲求の暴走 - メンヘラ.jp

    2016年現在、web上で頻繁に飛び交っている「承認欲求」という言葉。 あまりにも普及しすぎたこの言葉は、多くの場合「たくさんの人にチヤホヤされたい、かまってもらいたいという気持ち」ぐらいの意味で使われている。承認欲求という言葉には、それを持つ者を揶揄するような響きすら感じられる。 しかし、来、承認欲求とはどんな人にもある自然な欲求であり、それを満たすことには何のおかしさも奇妙さもない。人には「認められたい」「尊重されたい」という欲求があることは、もう何十年も前に提唱されている。 さらに、Wikipediaによれば、誰に・どのように認められたいのかによって、承認欲求のタイプは分かれるらしい。自分に自分を認められたい、他者に自分を認められたい。他人よりも優位であると認められたい、他人と対等であると認められたい、他人よりも劣っていると認められたい。その欲求の形は様々だ。ちなみに、web上で飛

    あなたに認めてほしかった、私の承認欲求の暴走 - メンヘラ.jp
    runa_way
    runa_way 2016/09/26
    「自分で認めてやるわけにはいかないのか」→自分みたいな無価値の奴が認めたところでその承認に価値はないからダメ。「自分が傷ついてはいないか」→承認が貰えないなら同情くらい欲しいしそれには傷つくのが最速。
  • 溢れんばかりの愛を

    友人らしい友人はいない。恋人もいない。今まで友人らしい友人ができたこともないし、恋人ができたこともない。ぜんぶぜんぶ、俺自身に責任というか、原因がある。でもそれを深く追究したことはないし、これからもするつもりはない。そんな、恐いことはしない。ただただこうして、逃げるように友人も恋人もいない人生を歩いていく。 でももちろん、それで満足なわけがなくて、やっぱり友人も欲しいし、恋人だって欲しい。家族はいるけど、それじゃ物足りない、満たされない。 小学生だった頃、よく二人で話していた女の子がいた。友人と呼べる関係ではなかったと、今では思う。あの頃の俺はきっと、その女の子に淡い恋心みたいなものを抱いていた。だってその女の子くらいだったから。俺とそんなにたくさん話してくれるのは。が好きな娘だった。もう顔はよく思い出せないけど、名前ははっきり憶えている。その娘と交わした会話も、いくつか憶えている。毎日

    溢れんばかりの愛を
  • 痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか?に対する回答

    痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか? という話が話題になっている。 http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2015/10/26/144601 この記事の中で、 「痴漢されるのは魅力的な女性だけという誤解」 という話がある。 痴漢されるのは魅力的な女性だけではなくほとんど無差別なのだ。 ということが言いたいらしい。 幾つかの記事をみてもそういった話が出てくる。 この説には幾ばくかの真実は含まれているだろう。 しかし、近年のジェンダー問題やフェミニズム、弱者男性、非モテの話等を組み合わせてこの問題を探っていくと ある一つの考え方が浮かんでくる。 被害女性に対する第二の被害を起こす社会を是正しようとする彼ら彼女らはこのあまりにも醜い一つの問題点を認識していない。 いや、そもそも認識することができないのかもしれない。 なぜある種の人たちがこの

    痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか?に対する回答
  • ベストセラー作家だけどハックルベリー(id:aureliano)さんの質問にこたえるよ! - orangestarの雑記

    http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671 まあ、岩崎夏海さんに比べるとあんまり売れてないのでベストセラー作家を名乗るのはおこがましいのだけれど。 ちなみに、ミリオンセラー>ベストセラー(文芸だと10万部くらいから)らしいので、ギリギリ名乗らせてもらいます。岩崎さんの質問に出来るだけ真摯に応えようと思います。真摯、大事、ってドラッガーも言ってたしね。 何でぼくのことを承認欲求の強い人間だと思うの? これは、そもそもの承認欲求の是非の部分から回答しないと当の回答にはならないと思います。また、ぼく自身の問題にも深く関わっている為、自分の経験も含めて回答します。 神様に愛され過ぎて手に触れるものが全て黄金に変わってしまうような星の元に生まれついた人間でない限り、文章を書いたり、モノを作ったりする人間にとって、承認欲求というものはガソリ

    ベストセラー作家だけどハックルベリー(id:aureliano)さんの質問にこたえるよ! - orangestarの雑記
    runa_way
    runa_way 2014/08/09
    メンヘラニート童貞アラサーで小説も一年に1万字くらいしか書けないし書けたとこでダメだそうだし、死ぬしかないすね。『そういう“タイミング”がやってくることが、長い人生の中で何回かある。』私には来ない。
  • メンヘラをネタにインターネットで人気者になることについて : 戦争だ、90年代に戻してやる

    「メンヘラ神」なるメンヘラが自殺した。 続きを読む

    メンヘラをネタにインターネットで人気者になることについて : 戦争だ、90年代に戻してやる
    runa_way
    runa_way 2014/03/08
    「ならば今すぐ全てのメンヘラの孤独を癒し十分な人間関係と承認と自尊心を授けてみせろ!」的なことを若干思った。“君が治したいと思っている限り”という、その治したいと願う能力・意欲が弱まるから難しい。
  • なぜ「認められたい」に暴走する若者が増えたのか

    ロスジェネ世代(1981年生)の編集・ライター。フリーライター、編集プロダクション勤務を経て2008年より株式会社プレスラボを起ち上げる。著書に『エレベスト』(戎光祥出版)。web上のニュースサイト「下北沢経済新聞」編集長。「GetNavi」(学研)誌上で『コンビニ研究室』連載中。他に「日経トレンディネット」「COBS ONLINE」「R25」「サイゾー」など主にネット媒体で執筆中。起業したのは旺盛な独立心と言うよりも、むしろサラリーマンの職場における煩わしい人間関係から逃げるため。 ツイッター:@umeda_kazuhiko 認められたい私、認めてくれない社会~「承認不安時代」の生き方~ 「強迫観念にとらわれたかのようにメールの返信を急ぐ人」、「ランチを一緒にべる友達がいないと思われるのがイヤで、トイレでご飯をべる人」……。オジサンには一見不可解な現代の若者に特徴的なこれらの行動。こ

  • 認められたい私、認めてくれない社会~「承認不安時代」の生き方~ | ダイヤモンド・オンライン

    「強迫観念にとらわれたかのようにメールの返信を急ぐ人」、「ランチを一緒にべる友達がいないと思われるのがイヤで、トイレでご飯をべる人」……。オジサンには一見不可解な現代の若者に特徴的なこれらの行動。こうした行動を駆り立てる原因を探っていくと、彼らの「認められたい」という思いに行きつく。この連載では、「承認」をキーワードに、特に若者の間で広がる現代社会の生きづらさの正体を考える。

    認められたい私、認めてくれない社会~「承認不安時代」の生き方~ | ダイヤモンド・オンライン
  • 私達はどのように承認欲求と向き合うべきか - シロクマの屑籠

    第一回:承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 第二回:承認欲求の社会化レベルが問われている 第三回:承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について 第四回:私達はどのように承認欲求と向き合うべきか(今回) ここまで、承認欲求について連載してきた。それらを踏まえ、どのように承認欲求と向き合うべきかについて私見をまとめ、結びとする。 最初に述べたように、認められたい・褒められたい・いっぱし扱いされたいといった社会的欲求は、ヒトに生得的に具わったものと思われ、ほとんどの人間に具わっているものと思われる。だから、承認欲求という言葉で表される心理的性向そのものを否定するのは色々な意味で筋が悪い。 承認欲求全般の否定は、おそらく自分自身の心理的性向の一部を否定することにも直結する。そうやって承認欲求に“臭いものに蓋”を続ければ、さしあたり承認欲求周辺の問題から自由になれるかもしれない

    私達はどのように承認欲求と向き合うべきか - シロクマの屑籠
    runa_way
    runa_way 2014/01/26
    承認欲求を全く妥当に満たせず二十代末になり、田舎でオフラインの人間関係も全然ない人間はどうしたらいいんだよ、という絶望感が募りました。救ってくれ、誰か救ってくれ、自分では無理、どうにか、なんとか、早く
  • 承認欲求の社会化レベルが問われている - シロクマの屑籠

    前回示したように、承認欲求そのものを叩くことに意義は無い。だが、承認欲求の充たし方、承認欲求にモチベートされて行う行動には、是非や可否が伴う。 承認欲求が充たしたいからといって劇場型犯罪を犯して良いわけがない。 承認欲求が充たすために通勤電車で楽器を弾く行為もまずいだろう。 承認欲求を充たしたい気持ちが嵩じて「ありのままの自分を全部受け止めて欲しい」と異性に望む人は、是非に関わらず、たぶんパートナーシップが長続きしない。 つまり、承認欲求をモチベーションにすること自体はオーケーとしても、社会的に妥当な充たし方かどうか、年齢相応の水準で充たしたがっているかどうかは常に問題になる。 承認欲求の社会化レベルが問われているのである。 幼児〜成人に求められる、承認欲求の社会化レベル 前回も述べたように、承認欲求は幼い時期から認められる、おそらく生得的な欲求だ。二歳〜三歳の頃から承認欲求は認められ、老

    承認欲求の社会化レベルが問われている - シロクマの屑籠
  • 母の承認ということ | 東京の心理カウンセリング|斎藤学メッセージ

    2018年1月19日 以下の文章は、現在製作中の(仮題”寂しくて、退屈な人のために”、大和書房)の一部に用いたものです。’97年の年始に書きました。この前後、「承認」のことを考えていて、このの中に挿入したくなったので、もうゲラ刷りの出ている段階なのですが、割り込ませて入れることにしました。昨年末から今年にかけて、麻布DNCの皆さんからの質問やシェアリング(わかちあい)で、このことを考えさせられることが続いたので、「対人恐怖」、「難治性抑うつ」、「親の承認」などの言葉が、今、私の中をめぐっているのです。 真の欲望とは「承認される欲望」のこと 母親の前で泣いている赤ちゃんのことを考えてみてください。この二人の間には言語が介在していません。母親は「オギャー」の叫びを空腹と受けとめるかも知れない。それは当にそうなのかも知れないし、そうでないかも知れないが、母親が子どもの欲望を読み取ろうとする

  • ヘーゲルから見る自意識問題という名の厨二病

    自意識問題について。 まあ思春期には、「自我」がどうしようもなく膨れ上がる。みんなそうだ。 このころに、つまり言葉が一定の水位を超えてあふれ出す時に「思考」が始まる。 そして、現実ではなく、「自己意識の中では」自分は「自由」な存在だということを突然発見する。 若者の「思考」の最大の仕事は自分を正当化すること、そして自分を世界の絶対的な主人公とすること。 そんなわけで、14~15歳前後から、世界のすべてを自分流に解釈し、 自己意識の中で激しく「俺は誰でもない俺だけの存在だ」という感覚を確認しようとする。 要するに、思考の自由がやってきて、はじめて人間は「自分という存在のかけがえのなさ」を実感することになるわけだ。 おめでとう。 しかし、ここには問題がある。 第一に、それは「意識」の内側だけの自由であって、その人を取り巻く現実は、やはり親や社会のルールによって縛られ、拘束されている。 自力で現

    ヘーゲルから見る自意識問題という名の厨二病
    runa_way
    runa_way 2014/01/09
    自分なりに探すなんて無理。教えて。助けて。助けて。救って。早く。
  • 大学生に見る若者の「承認」欲求の現在(難波功士) - 個人 - Yahoo!ニュース

    社会学のみならず、広く社会科学ないし人文学の世界において、ここ数年来、「承認」概念をめぐってはさまざまな議論がなされてきました。現代社会を語る上で、一種のキーワードとなっている観もあります(斎藤環『承認をめぐる病』日評論社、2013年参照)。たとえば、2008年に起きた秋葉原での無差別殺傷事件。家族と離れ、派遣労働者として職場を転々とする犯人が求めていたのは、他者からの「承認」であったと、しばしば語られてきました。そして、とりわけ彼の場合は、ネット上でのつながり――たとえ罵倒や冷笑であっても、何らかのレスポンス――を求めていたのだとも論じられました。 現代社会を生きる人々は、さらに言えば現在の若者たちは、それほど強く「承認」を求めているのでしょうか。 この問いに対して、私の中に解答はありません。ただ思うことは、いつの時代にも若者たち(まだ何者でもない者たち)は、周囲や社会からの承認を求め

    大学生に見る若者の「承認」欲求の現在(難波功士) - 個人 - Yahoo!ニュース
    runa_way
    runa_way 2014/01/09
    どこまでも他人事としての論評に、承認欲求地獄で十年ばかりのたうってる(つもりの)挙句ニートになっている私としては読んでいてとてもイライラした。保障や社会包括だけでなく、これを論じる能力もないのでは。
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