4月1日早朝、山梨県甲府市にある寿司チェーン店「無添くら寿司」に勤務する30代の男性店長が、店の駐車場で自殺していたことが「週刊文春」の取材でわかった。 上司から日常的にパワハラを受けていた 亡くなったのは中村良介さん(仮名・享年39)。中村さんは自身の車を店舗の駐車場に停め、車内に火を放ち、自ら命を絶った。 くら寿司は東証プライムに上場する回転寿司チェーンの最大手企業。「コロナ禍で飲食業界が厳しい中、2021年10月期(連結)の売上高は1476億円と過去最高を更新している」(経済誌記者)。
愛新覚羅氏をご存知だろうか? かつて中国大陸を支配していた「清」という王朝の皇帝の一族である。 もともと、現在の北朝鮮の国境とほど近い地域(現在の撫順市と通化市の間あたり)を拠点とした満洲族(女真族)の首長・ヌルハチがご先祖だ。ヌルハチは1616年に即位し、次代のホンタイジが国号を「大清」に改め、3代目の順治帝の時代に中国本土に進出。やがて康煕帝・雍正帝・乾隆帝の3賢帝の時代に極盛期を迎えた。現在の中華人民共和国の領域も、外モンゴルと台湾を除けばほぼ清朝の範囲を継承している。 清朝は1840年のアヘン戦争を境に衰退し、1911年の辛亥革命で滅びた。ただ、最後の皇帝・溥儀はやがて日本の関東軍に利用されて傀儡国家の満洲国の皇帝として即位、戦後は収容所を経て、最後は一般市民として北京市内で没する。このあたりの話は、映画『ラストエンペラー』や、溥儀の弟の溥傑に嫁いだ日本人・浩の自伝『流転の王妃』な
演出責任者の相次ぐ交代など迷走を重ねた五輪開会式。今回入手した11冊にも及ぶ台本には、その過程が詳らかに記されていた。なぜ、どのようにして、開会式は“崩壊”していったのか。小誌だけが書ける全内幕――。 そのセレモニーは、新国立競技場に1台のバイクが颯爽と走ってくるシーンから幕を開けるはずだった。大友克洋氏の漫画『AKIRA』の主人公の愛車、赤いバイクだ。会場に映し出されるカウントダウンの数字。ゼロになると、中央のドームが開き、ステージに3人の女性が姿を見せる。Perfumeだ。会場には、彼女たちをプロデュースする中田ヤスタカ氏の書き下ろし楽曲が流れている。 Perfumeの出演は幻に終わった 精魂込めて作り上げた210分間のステージが、全世界の人々を虜にし、アスリートたちの背中を押していく。演出振付家・MIKIKO氏と彼女が率いてきたチームにとって、東京五輪の開会式はそんな晴れ舞台となるに
無印良品といえばシンプルかつ高品質な生活用品のお店としてあまりにも有名ですが、この数年、「無印のレトルトカレーが凄い」という話を頻繁に耳にするようになりました。「無印こそスパイスカレーブームを陰で支える主役」とまで言い切るカレーマニアもいます。 その無印のカレー、いったい何がそんなに凄いのか。まずは単純にその商品点数です。無印良品の通販サイトで確認できるだけでもその数40種類以上。もちろん実店舗にも多種類のカレーがずらりと並びます。 またそれらは単に種類が多いというだけでなく、バリエーションの幅広さも圧巻。ビーフカレーやポークカレーなど定番の欧風カレーから、「シチリアレモンのクリーミーチキンカレー」などの創作系カレー、そしてなんと言っても無印のカレーの名を高からしめているのが本場の味を追求したエスニック系のカレーの数々です。 無印良品は、エスニック系レトルトカレーのパイオニア 実はこのエス
何年か前、廃墟を趣味とする人たちの間で、話題になった研究所の廃墟があった。ウイルス等の研究を行っていた巨大な施設で、実験器具等が残され、そっくりそのまま廃墟になっているというのだ。廃墟マニアの私もずっと気になっていたが、しばらくして、運良くそこを管理されている方と連絡を取ることができた。 思い切って内部を見学させてほしいとお願いすると、「機器や薬品を持ち出したり壊したりしなければどうぞ」というお返事をいただき、早速現地に向かった。
言葉には言霊という霊的な力があって、口にした言葉は現実になると言われています。だから嘘でもポジティブな言葉を口にしろ、と数々の啓発本には書かれていますが、嘘をつくのもなんなんで言いますけど、40代に入った頃からかな? 仕事がゆる~りと減り始めました。テレビの世界に入って、一度も手を抜いたことはありません。なのに減るのです。流行り? 運? 好感度? ネットには「面白くない」「消えろ」「消えた」…… 私は独身です。旦那も、子供も、彼氏もいません。わかりやすく私を必要としてくれる人が側にいません。年齢に比例して増えてゆく休み、そりゃ不安になりますよ。長い夜、思っちゃいますよ。「私は誰にも必要とされていない」と。 ©文藝春秋 ネットには「面白くない」「消えろ」「消えた」無責任な言葉が溢れています。私は、顔も名前も出さない奴らの憂さ晴らしのためだけに生きているんだ……。28年やってても頑張り方すらわ
私は日本の都会の通勤時間帯の電車が嫌いである。ただし単純な混雑だけが理由ではない。胃が悪いらしき病的な口臭やストレス臭を漂わせた人や、生気に欠けた暗い目をした人が極端に多く、不吉かつ異様な雰囲気が充満しているからだ。海外から帰国したり地方から上京した直後にこの手の電車に乗り、「スーツを着たゾンビ」さながらの集団を目にすると、生命エネルギーをゴリゴリと削られるような錯覚すら覚える。 平成30年間の“悲しい現実”にぴったりの名言 しかも、彼らがそんな姿になってまで通勤した先では、しばしば長時間労働やパワハラ、理不尽な顧客のクレームが待っている。たとえ労働者が主観的には「がんばって」いても、日本人の労働生産性は先進7カ国のうちで最低だ。多くの人は退屈で非効率的な行為を「仕事」であると必死で思い込もうとしているにすぎない。得られる年収は300~400万円かそれ以下という人も少なくない。
さる8月15日、30年以上勤めた任天堂を退社しました。大学を出てからずうっと任天堂で玩具作りにかかわってきたのですが、55歳を区切りに自分のアイデアをもっと自由にいかせる仕事をしようと考えたのです。 もっとも、新しい門出に、いきなり洪水のような報道が襲ってきました。 退社する前日に、『日本経済新聞』が私のことを大々的に報じたのです。 いわく「ゲームボーイを開発した功労者が退社した。鳴り物入りで宣伝した『バーチャルボーイ』失敗の責任をとったものだ」 いわく「『NINTENDO64』が予想以上に売れていないため、任天堂の利益が大幅に減っている」 二つの「事実」を並べて読むと、読者には任天堂が大変な苦境に陥り、まるで内紛でも起こっているかのように思えるでしょう。 実際には、私は「『バーチャルボーイ』失敗の責任をとって」辞めたわけではありません。 前々から、55歳になったら、独立したいと考えていま
「約100人の同期のうち、すでに50人ほどが銀行を去りました」 こう語るのは有力地銀で入行8年目のA氏30歳。有名国立大を出て支店での個人・法人営業も経験、企画セクションで社長直轄の戦略立案を担ったこともある。 「金融商品のノルマに嫌気がさした人も多かったのですが、結局、安定していると思っていた銀行の将来が見えないことに不安を感じた人が退職したのだと思います。それが証拠に転職先は地元の県庁や市役所など公務員が圧倒的に多いです。もはや銀行は安全志向の人のための職場ではなくなりました」 かつて就職市場で銀行の人気は抜群に高かった。その背景には、給与の高さに加え、その「安定性」があった。つまり高給で「潰れない会社」だと思われてきたのだ。 しかし、それもすっかり過去の話だ。銀行は、今、大転換期を迎えている。 銀行は「安定性」を演出 預金者から資金を集め、企業に融資する銀行融資は、「お金を借りる人(
よく「何とかの若者離れ」っていうじゃないですか。バイクや釣りのような趣味から、伝統芸能や工場熟練工の現場まで、募集したって人が集まらないとかいう各種「守るべきもの」の数々。流行りすたりはありますよね、というレベルに留まらず、すべての面において後継者不足、人手不足は以前から問題になっておったわけであります。 経済学者であれば、賃金が支払われない魅力的ではない現場に人は集まらない、効用が低いから見捨てられた領域なんだよ黙って滅べ馬鹿どもめ、と煽ってきそうな話です。だけど、例えば44歳の私が子供のころは「水泳と自転車とスキーができないのは親の責任」と言われて育って、やりたくもないスキーをやりに寒いところへ親に連れていかれてスキースクールに放り込まれた経験があります。なんでわざわざ冷たい雪の中を派手なウェア着てずるずるとボーゲンで麓まで降りてくるのに金を払わなければならないのでしょう。理不尽だ。世
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