注目!! この門をよく覚えていてください。 門をくぐるまでは見えないのですが、 入って左側に見事な藤が咲き乱れています。 岐阜県羽島市竹鼻町の「竹鼻別院」 嘉禎元年、親鸞聖人が三河の地で教化されたとき、教えを受けた人々が親鸞をお迎えするために木瀬の地に建てた草庵が竹鼻別院の前身だそうです。 文明2年、洪水で流された草庵を再興し「「河野御坊」と名づけられその後「専福寺」と改称されましたが、何度も移転しています。 戦国時代に織田信長と本願寺との一向一揆の後に新加納村から竹ケ鼻村に移されました。 その後も火事や地震などに何度も会い、現在の本堂は大正4年から11年にかけて再建され 「竹鼻別院」と改定されたのは明治19年になります。 境内には藤の古木の他に、竹鼻保育園と宝暦の治水工事(木曽川・長良川・揖斐川)の幕臣として御小人目付を任ぜられ、後に自刃した竹中伝六喜伯の墓があります。