内田樹に関するs-hinoのブックマーク (2)

  • ノーベル文学賞の日 - 内田樹の研究室

    今日はいよいよノーベル文学賞の発表である。 村上春樹氏ははたして今年ノーベル文学賞を受賞するであろうか。 物理学賞、化学賞と立て続けに日人受賞者が輩出しているので、今年は「日イヤー」になるかも知れない。 というわけで、新聞社から「村上春樹ノーベル文学賞受賞のコメント」の予定稿を求められる。 今回は S 新聞、K 新聞、Y 新聞の3紙から求められた。 S 新聞には過去2回書いているので「三度目の正直」。 私のような門外漢に依頼がくるのは、批評家たちの多くがこの件についてのコメントをいやがるからである。 加藤典洋さんのように、これまで村上文学の世界性について長期的に考えてきた批評家以外は、村上春樹を組織的に無視してきたことの説明が立たないから、書きようがないのである。 だが、説明がつかないから黙っているというのでは批評家の筋目が通るまい。 批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられ

    s-hino
    s-hino 2008/10/10
    批評の仕事、世界への筋目の通し方について
  • そんなの常識 - 内田樹の研究室

    西宮大学交流センターのインターカレッジ西宮というイベントに出かける。市内にあるいくつかの大学から講師を派遣して、共同テーマで講義をするのである。 今回のお題は「常識のウソ、ホント-私たちの常識を再考する」というものである。 私は人も知る「常識原理主義者」であるので(そんなものはないが)、日は「常識の手柄」というタイトルでお話をする。 「常識」についてはこれまで何度も書いているが、「そんなの常識だろ」というのは私たちがものごとを判断する上で、たいへんたいせつな知性の働きである。 まず、第一に「常識」というのは即自的に「常識」であるわけではないからである。 私が「そんなの常識だろ」と憤然と言った場合でも、言われた当人は「お前の言うことのどこが常識なんだよ。何年何月からそれが常識になったんだ。どこからどこまでの地域で常識なんだよ」とただちに反論する権利が保証されており、私はその異議に対しては絶

    s-hino
    s-hino 2008/09/28
    “常識の手柄”について
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