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子どもに関するsamoyed-dogのブックマーク (5)

  • 「こら、くそはばあ」「死ね」 DQN小学生、増加の一途…女の先生を全力で何十発も蹴ったり、暴言吐いて暴れたり(from ニュー得ブログ: 「仲村みう」で飛んでくる人が多い件) - 明日�

  • 「今日は暴言」の補足 - リツエアクベバ

    オマケみたいについてきた男子判明の方がうれしかったな。お世継ぎだのなんだのとか関係なく、男の子欲しかったんだもん。 (9月7日更新分「今日は暴言」) 自分の子どもとして男の子が欲しかったのは、ずっと長いこと、弟のいる人がうらやましかったから。「兄」ではなく「弟」。 下の子は上の子を慕う。これはもう前提のところであると思う。堂々と自分を慕ってくるものに対して、甘やかしたりからかったりおちょくったり頼ったり。こういう相手が異性であるという、なんというか傍目で見ていたおもしろさのようなものが、なんかこう、うらやましかった。 さて、念願の「わたしの男の子」を手に入れた母は、もうやりたい放題で楽しくて仕方がない。娘かわいさと息子かわいさの違いも十分に満喫していると思う。 娘はかわいい。知的障害があろうがなんだろうが、娘の女性性のもつものを理解し、その女性性がもたせていくアイデンティティにも、母として

    「今日は暴言」の補足 - リツエアクベバ
    samoyed-dog
    samoyed-dog 2006/09/10
    「ほう、これが男の子なんだな、などとも思う。」
  • 中年の証明 - kmizusawaの日記

    ■中年の証明 60年代真ん中あたりの私にとって「中年オヤジ(もしくはオバハン)」というようなものを意識し始めた頃に中年だったのは自分の親とそのちょっと下の団塊世代の人たちだった。だからなんとなく「中年」というと団塊を想像してしまう癖があるのだが、今や団塊は中年ではない、初老である。そしていつの間にか自分が中年のオバハンになっているのである。最近は皆健康と美容に気をつけ、腹も出ないように整え(人による)、いつまでも若いつもりでおしゃれをし、目立ち始めた白髪も染めたりしているが、それでも中年である。「あのオバサン、みっともない」とくさしている相手が実は自分より年下ということだってすでにあり得るのである。いくら独身とはいえ、幼児に「おばちゃん」と言われて「お姉さんと言え」と訂正するのもかなり微妙な年頃である。つうか幼児にとってどう見ても自分の母親より年上の女を「お姉さん」と呼ばされるのは暴力であ

    samoyed-dog
    samoyed-dog 2006/08/13
    来た道 行く道
  • 勝ち猫 もちの マターリぶろぐ またーりしようよ’ アニメは愛に溢れていた

    夕方になるとたくさんのアニメが放送されていた1970年代に少女時代を過ごしたわたしは幸せだった。 泣いたり笑ったり、その物語に没頭することもあれば、主人公の言動に共感できないと文句を言ったり、 「どうしていつも同じ服を着ているの?」 「ああいうセリフは普通子どもは言わないよ。」・・・なんて突っ込みをしていた。 感じたことを大人にいくら訴えても、笑って流されてしまうので、 「ああ、大人ってどうしてこうも、子どもを子どもと思う生き物なんだろう」とため息をついていた。 先日BSアニメ夜話を見ていたら、「勇者ライディーン」について討論していた。*1 http://www.nhk.or.jp/manga/main.html その番組の中でスタッフが「子どもは意外に良く見ているものだ。いい加減につじつまを合わせても物語の矛盾をみぬいてしまう・・・だから今まで以上にしっかりした話づくりをしよう・・・とい

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