historyに関するsantiargonのブックマーク (2)

  • なごなぐ雑記: 岡田外相対話集会で激白。海兵隊がグアム行って空っぽになっても普天間は、新基地建設なければ返さない。えっ?

    岡田外相対話集会で激白。海兵隊がグアム行って空っぽになっても普天間は、新基地建設なければ返さない。えっ? 先週末から昨日にかけて、ある「会議」に参加するため二泊三日で名護市にいた。岡田外相が名護市に来たり状況がドラスティックに動き続ける中での「会議」だったが、そのような状況とは決して無縁ではないテーマをめぐって、韓国や日、沖縄の研究者や活動家が話し合うとても有意義な「場」だった。「名護会議」と名づけられたその会議についての報告は後日改めて、拙ブログでも行う。 岡田外相が名護で行った「市民との対話集会」については、小説家の目取真俊さんがその全容をテープ起こしなされて自身のブログで公開している。とても貴重な記録である。ぜひお読みいただきたい。下記リンク先からはじまり、7まで続いている。岡田外相と「市民との対話集会」 全面公開 1市民と対話した、説明を尽くしたというアリバイのごとき「場」にしよ

  • なごなぐ雑記: 全国のそして全世界の友人へ贈る(その2)

    「普天間代替」という名の新基地建設を、「沖縄」の問題だと思い込んでいる人々が大勢いるような気がする。これは日国の沖縄差別としか言いようがない実態・現実の問題である。 事実だけ指摘しておきたい。 - 沖縄戦 1944年3月、アジア・太平洋戦争の最終段階で大日帝国大営直轄の沖縄守備隊(第三二軍)が創設される。沖縄は戦局の深刻化に伴い「国体護持」のための“捨て石”の役割を担わされることになる。 1945年3月、米軍上陸で沖縄戦始まる。米軍により日土への出撃拠点として、日軍から接収した飛行場以外にも飛行場が複数建設される。「普天間飛行場」はそのひとつである。 1945年8月、大日帝国がポツダム宣言を受諾する。 - 占領下から日国独立へ、沖縄は米軍占領続く 1947年9月、占領軍総司令官マッカーサーに対して「琉球諸島の将来に関する日国天皇の意見」(天皇メッセージ)が発せられる。この

    santiargon
    santiargon 2009/11/27
    『殺されても替わりの足は踏ませない。』
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