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福島に関するsanyo-sanのブックマーク (3)

  • 原発事故後、人の姿が消えた山間部で起きていること【福島・いわき発】

    田村市常葉町の実家へ行ってきた。実家は床屋。兄夫婦がやっている。要するに、散髪目的の帰省だ。昨年6月以来だから1年2カ月ぶりか。 途中、いわき市の夏井川渓谷にある無量庵へ寄り、谷風の通る部屋で少し涼んだあと、菜園に生ごみを埋めて実家へ向かった。除染作業を告げる立て看、仮置きされた残土……。1年余前にはなかった新しい光景に、放射性物質と苦闘する住民の思いが重なった。 道行きの出発点となった無量庵に、8月1日付いわき市小川支所発の回覧チラシ「クマにご注意」(=写真)が差し込まれていた。その話から始めたい。 おとといの小欄「ミンミンゼミ」で、溪谷の上流、川前町でツキノワグマの足跡が確認されたことを書いた。川前町に隣接する小川町も当然、要注意地区になった。それを頭に入れての帰省、いやチラシを手にしてからはもっと具体的に注意をしながらのドライブになった。 チラシは当然ながら、2日付いわき民報の記事よ

    原発事故後、人の姿が消えた山間部で起きていること【福島・いわき発】
    sanyo-san
    sanyo-san 2012/08/15
    僕らが開拓のために福山の山に頻繁に出入りするようになりイノシシが出なくなった。それと同じように人が出入りしなくなると里も熊にとってストレス無く歩き回れる場所になってしまうのか?
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

    sanyo-san
    sanyo-san 2012/08/14
    絶句・・・なんにも言葉に出来ない。是非読んで下さい。
  • “東電福島第一および第二原発の労働者のためのメンタルヘルス支援” 重村淳(防衛医大)

    ala @w_ala NPO 相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会|第1回国際シンポジウム 「放射能汚染とメンタルヘルス」 http://t.co/XBfvVw06 8月11・12日開催、「低線量被ばく」、「福島第一および第二原発の労働者のためのメンタルヘルス支援」重村淳(防衛医大)ほか 2012-08-11 13:10:03

    “東電福島第一および第二原発の労働者のためのメンタルヘルス支援” 重村淳(防衛医大)
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