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思想と社会に関するsappuriのブックマーク (3)

  • きれいの弊害 洗練の誤謬 - レジデント初期研修用資料

    医療みたいな不確定要素を相手にする業界は、「模範的な医師」を想定してはいけないのだと思う。 症例検討会のこと 研修医が患者さんを受け持って、必然と、偶然と、病棟でいろんなことが重なって手術になる。 珍しい病気だったり、病理学的に「きれいな」症例であったりしたら、そうした経過は症例検討会で 発表される。 主治医は患者さんの症状や経過、何を考え、どんな検査を行ったのかを報告して、外科医は手術所見を述べ、 病理の先生がたは、取り出された病巣を顕微鏡で検討して、そこに集まったみんなで、貴重な経験を分かちあう。 症例検討会には、「きれいにされた」経過が供覧される。 どこの病院も、現場はたいてい、混乱に次ぐ混乱。患者さんが入院したところで、 実際にその人に会えたのは当日の夜中だったり、後から考えれば最初にやっておくべきだった検査は、 それに気がついたときには、もう患者さんは手術室だったり。 自分たちだ

    sappuri
    sappuri 2009/12/08
    きれいさについて
  • プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記

    池信先生⇒Twitter / 池田信夫: いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけ ... いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけど、あれはウェーバーの作り話 プロ倫は実証的に見ればゴミですよ。その点ではレヴィストロースがトンデモさんというのとあまり変わらない。 じゃなぜプロ倫かというと、人間行動における合目的性の概念にあって、それが理解社会学となるのだけど、この内面の「理解」を、いわゆる文学的な人間の内面ではなく、モデル的に、つまり理念型的に取り出したところがポイント。だからこの先にパーソンズの構造機能分析が出てくる。だからプロ倫が基礎とも言える。 ただ、これもちょっと特異な発想で、現代知性にとって重要かというとちょっと微妙かもしれない。 あと ⇒[書評]プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神(マックス・ヴェーバー): 極東ブログ ⇒[書評]マックス・ヴェー

    プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記
  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形

    sappuri
    sappuri 2009/11/02
    東氏のTLよりメモとして
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