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コミュニケーションと哲学に関するsasadaのブックマーク (1)

  • 通じない感覚、または感覚Aの世界 - finalventの日記

    はてなとかで若い人の日記とか覗き見しているとコミュニケーションというのがなにかと話題になっているようだが、いわく、コミュニケーション力、コミュニケーション術、わかりやすさの技術、なんたら。 で、ま、ベースには若い人なりの、通じないなぁ、とか、さみしいとか、孤独、とかいろいろあるのでしょう。 ただ、なんつうのか、ある種の感覚的世界って、他者に通じないもんなんだよね。で、それがとても自分にとって当たり前なのに、社会にまるきし通じないっていう感覚、ってなんなのでしょうかね。 ヴィトゲンシュタインが、この手のことを考えていて、その感覚をAと名付ける、というような思考実験をしている。「私」の内部ではその感覚と名辞は連結されているが、Aは他者には言葉で聞けても通じない。他者はその感覚を了解できない。 ヴィトゲンシュタインがこの問題をどう解いていたか、あるいはそのままだったかよくわからない。 ワタシ的に

    通じない感覚、または感覚Aの世界 - finalventの日記
    sasada
    sasada 2007/05/08
    彼我の認識の断絶について。プチ異文化。多分誰もが抱えていて墓場まで持っていくもの。他者とのプロトコルとしてコミュニケーションがあり、自我とのインターフェイスとして思考があるのだろう。私は未だに未成熟。
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