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あとで読むと考え方に関するsasapi180のブックマーク (6)

  • 自分の思考のクセという「箱」から出たいときに参考になる5冊 - ビジョンミッション成長ブログ

    自分の思考のクセはありますよね。考え方が習慣になっている。 よく言われるのは、マイナス思考とプラス思考がありますよね。 スキーマ(思考のクセ)を知る方法 - 黒のひとりごと わたしもこういうことをこのところ考えているところでした。 批判的に考えることが良いこともありますし、プラス思考で考えることが良いこともあります。状況によるところがあるでしょうし、状況を見ながら両方考える。 視野の広さが大切だと感じています。自分が知らないこともあると考えてみることがとくに大切ですね。なぜなら、全部が見えている、わかっているわけではないですから。わかっていない中で判断すると、適切な判断はむずかしいでしょう。 で、自分の思考のクセ、自分の「箱」から出たいときに参考になるを紹介します。 自分の思考のクセという「箱」から出たいときに参考になる5冊 1 自分の小さな「箱」から脱出する方法 2 BCG流 最強の

    自分の思考のクセという「箱」から出たいときに参考になる5冊 - ビジョンミッション成長ブログ
  • そろそろやめませんか?「右翼/左翼」「保守/リベラル」って分類は。 - デマこい!

    政治用語が混乱しています。 「おれは保守だ」と言う人がいれば、「あんなのは物の保守ではない」と言う人がいます。「日リベラルは終わった」と言う人がいれば、「あんなのは物のリベラルではない」と言う人がいます。 保守、リベラル、右翼、左翼──。 政治的立場を示すこれらの言葉は、論者それぞれが自分独自の定義で使うようになってしまいました。誤解や混乱を避けるため、うかつに使うのをためらうほどです。一度これらの言葉から離れて、政策そのものをベースに政治的立場を整理する必要があるでしょう。 ◆ あなたは「社会」と「個人」のどちらを大切だと考えますか? 有史以来、これは神話や戯曲に繰り返し選ばれてきたテーマです。人は1人では生きていけません。生存には「社会」が必須です。しかし社会の目的が、個人の目的と一致するとは限りません。社会の繁栄のために、個人の自由はどこまで犠牲にできるのか。これが政治的立場

    そろそろやめませんか?「右翼/左翼」「保守/リベラル」って分類は。 - デマこい!
  • そもそもビジネスの現場ではどういう「レベル」の統計学を使うべきなのか - 渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ

    データサイエンティストブームが去りつつある一方で、データ分析ブームそのものはじわじわと広がり続けている感じのする昨今ですが。最近また、色々なところで「当にビジネスやるのに統計学って必要なの?」みたいな話題を聞くことが増えてきたので、何となくざっくりまとめて書いてみました。 ちなみに今回の話題の参考図書を挙げようと思ったら、この辺ですかね。 とある弁当屋の統計技師(データサイエンティスト) ―データ分析のはじめかた― 作者: 石田基広,りんと出版社/メーカー: 共立出版発売日: 2013/09/25メディア: 単行この商品を含むブログ (13件) を見る 統計学入門 (基礎統計学) 作者: 東京大学教養学部統計学教室出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 1991/07/09メディア: 単行購入: 158人 クリック: 3,604回この商品を含むブログ (78件) を見る 当は赤

    そもそもビジネスの現場ではどういう「レベル」の統計学を使うべきなのか - 渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ
  • 上司があなたをお酒に誘って伝えたいと思っている7つの真実 - ICHIROYAのブログ

    大学を卒業したころ、生意気ざかりだった僕は、世の中のことや人間ってやつのことはだいたいわかっていると思っていた。 だから、自己啓発書を読むのも嫌いだったし、教師や親の言うこともきちんと聞こうとはしなかった。 会社でも上司や先輩たちの酒の誘いが嫌で仕方がなかった。 どうせ、つまらない説教をされるか、自慢話を聞かされるか、愚痴を延々と聞かされることになるとわかっていたからだ。 しかし、案の定、僕はその後、何度も何度も壁にぶちあたった。 そして、文字通り、泣きながら様々なことを思い知った。 僕と同じように、若いひとたちは、今日も上司に酒を誘われて、どうやって断ろうかと困っているだろう。あるいは、仕方なく付き合って、何時までつきあったら「帰ります」と言い出しても人事考課に響かないだろうかと迷っているに違いない。 で、幾万の上司があなたのことを思って、まあ、いくぶん自慢や後悔や愚痴や、そして自分が会

    上司があなたをお酒に誘って伝えたいと思っている7つの真実 - ICHIROYAのブログ
  • 私がプロのミュージシャンをやめる日

    音楽をプロとして作ると言うことはなんぞやという話。半分決意表明みたいなものです。シェアしておきたい、と思いまして。名前は明かしたくないから匿名ダイアリーで。 そもそも、普段我々がiPhoneなどに入れて楽しんでいる音楽、それらのほとんどはポピュラーミュージックだ。そしてポピュラーミュージックのほとんどはエンターテイメントビジネスの範囲内で行われる物だ。資主義からは逃れることができない。 では消費者はポピュラーミュージックの何を買っているか?果たして音楽を買っているのだろうか。私が思うに、アーティストの感情と物語を消費者は求めているのだとおもう。あと視覚効果やライブの場を感じるなどの体験。音は媒介に過ぎない。そして音そのものこそが商品であると錯覚するところからミュージシャンの不幸は始まる。お金にならないからだ。 ミュージシャンにとっての価値 : 音そのもの消費者にとっての価値    : 音

  • 『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ

    『かぐや姫の物語』を観た。強い衝撃を受けた。昔話のあらすじそのままでありながら、昔話ではなかった。これは、あきらかに現代を生きる女の話だった。震えた。 思春期を迎える頃に、かぐや姫は生まれ育った山を離れ、都へと連れていかれる。この時点でいくつかの喪失がある。子供時代の喪失。野山を駆け巡る生活の喪失。遊び仲間の喪失。姫は、このときまだ自分が何を失ったのか理解していないが、「子供時代の喪失」は、女にとって、人間性を一度失うことと同じである。女にとって、大人になるということは、ただ子供から大人になるということではない。大人ではなく、「女」になれ、という周囲からの強制が必ず働く。ただ自分の意志で好きなことをし、気持ちをそのままに表現できた子供時代を失い、人目を気にして誰から見られても恥ずかしくない「女」になれと強いられるのは、自分自身を捨てろと言われているのに等しい。都に移り住んだ姫は、走り回るこ

    『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ
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