黒色火薬の標準組成は、硝石:七五、硫黄:一○、木炭:一五です。 しかし日本は天然の硝石を産出しませんでした。よって、一五四三年の種子島での鉄砲伝来からほとんどをポルトガル商船による輸入に頼っていました。 ほとんどということは一部国産もしていたわけで、それは硝石培養法といって、動物性タンパク質中の窒素や尿中のアンモニアが、酸化バクテリアの作用により亜硝酸に変わり、酸化されて硝酸となり、土中のカルシウムと結合して硝酸カルシウムになり、これに炭酸ガリが作用して硝石になるのです。 ヨーロッパでは、牛馬の糞や魚のはらわた等とを石灰に混ぜてねかし、一~二年で硝石含有土を作っていたようです。 では、日本ではどうだったかについては月刊『Gun』七三年一月号に「合掌の里に残る硝石製造」という記事があります。 これは合掌造りで知られる富山県五箇山が、かつて加賀藩の隠れた硝石製造地であったことを、現地からレポー