いま現在、移動手段が徒歩のみであることもあり、高知市内をよくパトロールしているのですが、最近一つ気付いたことがありました。 高知は『公共空間を曖昧にすることに長けている文化圏』なんじゃないか ということです。 公共空間を曖昧にすることに長けている文化圏 今日も高知の人たちは、 青空の下にマチをつくっていた。 高知には、公共空間を【曖昧にする】文化の存在、面白さを感じる。 ひろめ市場も、街路市も、おきゃくも、【道】【店】【他者】なんかの境界線が、曖昧なのが実に面白い。 これが昔だし、これが未来だと思う!#高知市 pic.twitter.com/HPEXp5hiu9 — 佐藤翔平 / 移動する生き方。 (@temporubato_yh) 2018年3月17日 今までも、これに似た感覚は何度か抱いていたのですが、幾つかの要素が重なったことで、その認識はいっそう強くなりました。