フロイトがドストエフスキー論を書いているのは知っていたが、今回初めて読んだ。図書館で中山元訳の『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』(光文社古典新訳文庫)を見かけたので、借りてみたのである。「ドストエフスキーと父親殺し」は一九二八年、フロイト(1856−1939)が七二歳のときに書かれている。年譜を見ると、一九二七年には『幻想の未来』、三〇年には『文化への不満』を刊行しており、後期フロイトが精神分析の理論を宗教や文明批判、政治理論などにも応用していた時期に当たることがわかる。 フロイトはドストエフスキーを「詩人」としてはきわめて高く評価しながらも*1、「道徳家」や「罪人」としては手厳しく批判し、結局のところ、「神経症患者」として精神分析の対象としている。 私が興味深いと思ったのは、ドストエフスキーの「道徳家という<顔>」を批判しているところで、フロイトは、「道徳性の高い人物というも