免疫学の世界的権威 岸本忠三・元大阪大学長 科学技術予算の削減が昨年、検討されたが、科学技術が我が国の将来を支える礎の一つであることは、誰もが認める。日本には世界に誇れる研究がある。トップを究め、リードする科学者たちを連載で紹介する。 「上の奴(やつ)は蹴散(けち)らかしてええ。下の奴こそ大事にせえ」。1962年春、一人の男が大阪大に戻ってきた。九州大から第3内科教授として母校に来た山村雄一(1918〜90)=写真=だ。大阪・中之島にあった医学部。薄暗い研究室に檄(げき)が飛んだ。 関節リウマチの治療に道を開いた免疫学の世界的権威となった岸本は当時、阪大医学部5年。その時の衝撃をこう振り返る。「人生変わりましたわ」 医学界の陰を描いた山崎豊子の小説「白い巨塔」の連載が始まったのは翌63年。当時、第1内科と第1外科の教授を頂点にした、まさに小説の「浪速大学」通りの閉鎖的な階層社会で、〈出る杭