アーレントによれば、真に人間的であるのはアクションであり、コミュニケーションということになる。 ただコミュニケーションには、レイバーやワークに従属しているものもある。しかしそれは真のアクションではない。真に人間的なものは、レイバーやワークから切り離された、コミュニケーションの為のコミュニケーション(としてのアクション)である、とされる。 しかし、今私たちが直面しているのは、これとは全く違った事態だろう。 アーレントのいう「真に人間的なもの」であるアクションを、どこまでも純化してみたら、つまりコミュニケーションのためのコミュニケーションを、レイバーやワークとの関係から解放してしまったら、それは人間的じゃなく動物的なものになってしまった。 「象徴の貧困」とは、コミュニケーションをワーク――職人的な創造や芸術的な創造から切り離してしまったようなものではないのか。 (参考:東浩紀,大澤真幸:『自