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  • 皇紀2600年で消えた寺内町、畝傍御坊・信光寺 - 大和徒然草子

    皆さんこんにちは。 今回ご紹介するのは、大和五ヶ所御坊の一つ、奈良県橿原市の畝傍御坊・信光寺です。 大和国内、とりわけ国中(くんなか=奈良盆地内)における本願寺教団の布教拠点として、戦国時代から江戸時代の初期にかけて建立された、今井、御所、田原本、高田、そして畝傍の各御坊は、周囲に濠を巡らした寺内町を形成し、江戸期を通じて隆盛を誇りました。 現在も各御坊の周辺は、その多くが寺内町の往時の町並みを残しますが、今回ご紹介する信光寺は、大和五ヶ所御坊の中では、たいへん数奇な運命をたどった寺院です。 畝傍御坊とは 皇紀2600年祝典事業による移転 現在の信光寺と旧寺内町 畝傍御坊とは 信光寺の歴史は、1612(慶長17)年、江戸幕府の旗本であった神保相茂(じんぼうすけしげ)が自身の領地であった畝傍山山麓の地に、伏見から屋敷の門や建物を移築して、御堂を建立したことに始まります。 ちなみに相茂は、もと

      皇紀2600年で消えた寺内町、畝傍御坊・信光寺 - 大和徒然草子
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