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片岡健吉 高知の検索結果1 - 1 件 / 1件

  • 徳島県が名東県と名称を変えたのち高知県に吸収され、その後再設置されるまで~~四国2

    明治二年(1869年)の版籍奉還で藩主であった蜂須賀茂韶(もちあき)は、それまで支配していた阿波・淡路の版籍を朝廷に返還し、改めて徳島藩の藩知事に任命されている。 ところが、その後実施された禄制改革で、これまで蜂須賀家より大名並みの特別待遇を代々受けて来た洲本城代の稲田邦植らが卒族と扱われることとなり、収入が激減することに稲田家臣団が納得できず、徳島藩から独立しようとしたことは前回の歴史ノートの記事で書いたとおりで、このような稲田家の動きに激怒した徳島藩の一部過激武士らが、明治三年に稲田家と家臣らの屋敷を襲撃する事件(庚午事変)が起きている。 明治四年(1871年)七月の廃藩置県で全国の藩が廃されて県が置かれ、藩知事は東京に住まわせて、府県の統治は政府から任命された府知事・県令が担うこととなった。この時に徳島藩も徳島県となったのだが、同年十一月に、徳島県は名東県(みょうどうけん)と名称が変

      徳島県が名東県と名称を変えたのち高知県に吸収され、その後再設置されるまで~~四国2
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