教興寺の戦いまで 家臣の反乱に手こずる畠山高政 室町幕府が開かれてからの名門、畠山家はこの時窮地に立たされていました。 三好長慶の台頭 三好家はもともと細川家という一族の一家臣で、当初そこまで影響力を持ってはいませんでした。 細川家というのは将軍に次ぐ名家で、全盛期には「明応の政変」で将軍を変えるほどの力を持っていました。 ikusa-zukan.com しかし「永正の錯乱」という内乱が起こると、細川家は20年もの間一族で争い混乱します。 ikusa-zukan.com その間に着々と力をつけていった三好家は、次第に細川家を凌ぐ力をつけていくことに成功。 長慶の代になると力の関係は逆転、主君の細川晴元は「長慶の操り人形」と化していました。 家臣の反乱に手こずる畠山高政 一方の畠山家はというと、この時窮地に立たされていました。 なぜなら、新興勢力である三好家が畠山家に対して圧力をかけてきたか