おそらく劉備(りゅうび)を中心に三国志を見ている人にとって、最大の衝撃シーンは、荊州(けいしゅう)争奪戦における関羽(かんう)の死でしょう。赤壁(せきへき)の戦いでの勝利から、荊州の平定、益州(えきしゅう)の平定と、劉備の版図が着々と広がっていたというのに! これから曹操(そうそう)に対する最終決戦が始まる!というタイミングで、まさかの! 根拠地のひとつの荊州が陥落し、名将である関羽(かんう)が敗死。この後、蜀漢の趨勢はどんどん下り坂になっていきます。 もし、関羽が死ななかったら?もし、荊州が奪われていなかったら?蜀のファンであれば、何度も何度も、この問いを繰り返したことでしょう。いったいどこから歯車が狂ってしまったのでしょう? 関羽一人に荊州を任せたから?でもあの時点で、誰かを重要拠点の荊州に置いていかねばならないとすれば、実績としても勇名としても申し分のない関羽以外にいなかったはずです