自分で書いたWikipedia記事を自分のブログでネタにするというのも、非常にマッチポンプくさい気がしないでもないのですが。 Wikipediaの趙思温の項。 趙思温(ちょう しおん、生年不詳 - 939年)は、遼(契丹)の軍人・政治家。字は文美。盧龍軍の人。 (中略) 939年、庭に隕石が落ちて、亡くなった。 (後略) 問題の原文は、『遼史』巻76列伝第6にあります。 二年,有星隕于庭,卒。 庭を「にわ」と取るか、「宮廷」と取るか。 星と書いてあるんだから、「隕石」より「流れ星」と訳したほうがいいかもしれないとか。 細かい点ではいろいろあるのですが、「二年、星があって庭に落ちて、死去した」という雑把な解釈はたぶん間違ってないと思います。 趙思温の死因:お星さま直撃によるショック死? 追記:検索してみたところ、 『宋史』巻400列伝159の王信伝で「有星隕于其居,光如炬,不及地數尺而散。數
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く