てくてくさんTOP 旅行記587冊 クチコミ4294件 Q&A回答7件 2,136,659アクセス フォロワー628人 第二次世界大戦の戦局が悪化し、極秘のうちに、大本営や政府機関を松代に移転するという計画が立てられ、1944年年11月11日から翌1945年8月15日の終戦の日まで建設されたもので、全工程の75%が完成しました。 なぜこの地が選ばれれたのかというと、本州の中央にあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。さらに固い岩盤で掘削に適し、大型爆弾にも耐えられるとのこと。地下壕が完成したら、天皇も東京からこの地に移ってもらう計画でした。 この施設を造るために、西松組や鹿島組の建設関係者、日本陸軍、付近の住民の学徒動員、勤労奉仕、そして徴用された朝鮮人労働者が動員されたとのことです。 ところでなぜ朝鮮人労働者が徴用されたかというと、対英米戦で陸海軍がそれなりの体格を有する男子を片っ端動員