香川県高松市磨屋町に骨董商、三木古門の長男として生まれる。 高松中学(現香川県立高松高等学校)2年の時、うどん食い逃げ事件の首謀者として退校処分となり、京都の同志社中学(現同志社高等学校)に転じたが、乱闘事件を起こし放校される。星亨を頼り上京、星の法律事務所に書生として住み込むという日、1901年(明治34年)6月21日に星が暗殺された。 東京専門学校(現早稲田大学)に入学。学友には大山郁夫、永井柳太郎、橋戸頑鉄(信)らがいる。新宿で女遊びに明け暮れる一方、野球や法律の勉強に懸命に取り組んだ。創部当初の早稲田大学野球部にも入部してはいたものの、その腕前は非常に拙いものであったという[1]。ただ早大野球部の公式文書である部史に名前はなく、また稲門倶楽部員でもない[2]。後に三木夫人となり、早稲田小町と呼ばれて学生から人気だった天野かね子とのなれそめもこの頃である。1904年(明治37年)、東
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