福島県いわき市。震災から9か月、復興バブルは瞬時に去り、作業員宿舎のある温泉街、ソープランドから、賑わいの灯は消えた。いま、事故の後処理に従事する作業員たちは、どんな日常を送っているのか。作家の山藤章一郎氏が報告する。 * * * 夜7時15分。朝方、第一原発から40キロ地点のいわき市湯本の旅館を出発した作業員たちが戻ってきた。55歳の佐賀県氏、32歳の福岡県氏から、旅館駐車場に停めた車の中で話を聞く。佐賀県氏は従業員20人の会社に勤めていた。 社長に「1日5万、どうね。原発やけん、ちぃとは危険もあるかもしれんばってん」と頼まれた。「ほんで、延々と車で九州から来たとよ。着いて、ごく普通の健康診断やって〈放射線管理手帳〉=〈ホウカン〉渡されよった。 東電は、第一原発を〈1F〉と呼びよりますが、わしらは、逆さに〈F1〉って。〈F1〉にゃ、大林、竹中以外の大手ゼネコンから中堅、わしら下請け、孫請