九〇年代社会学/都市論の動向をめぐって | 若林幹夫 An Introduction to Books on Sociology: Urban Studies in the 90s | Wakabayashi Mikio しばしば語られるように、八〇年代は記号論やテクスト論、消費社会論的な都市論隆盛の時代であった。それは、八〇年代の日本の経済的好況=バブルの下での都市の消費社会化、記号の操作を媒介とする都市や都市空間それ自体の商品化とほぼ正確に対応していたと言うことができる。やはり八〇年代に流行した、明治・大正・昭和初期の「モダン都市生活」を余裕をもって回顧する「モダン都市論」も、経済成長の末に現われた景気の高原状態のうえで、現在の都市生活の正統性を過去に求めるという社会意識の現われであった。だが、その後のバブル崩壊と経済的停滞は、都市をめぐる視線を八〇年代的なバブルが覆っていた都市の表層
若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談 収録日:2013年1月18日 収録地:国際展示場駅〜臨海副都心 対談場所:ホテル日航東京ラウンジ 撮影:moco <『TOKYO nude』から2年後のTOKYO> 平本 僕のファーストアルバム『TOKYO nude』を作るときに、「東京を音楽にしたい。でも、どうやって東京を捉えていけばいいだろう」と悩んでいまして、それで若林先生にご相談したのがお会いしたきっかけです。そのときに著作である『東京スタディーズ』をご紹介頂いて、映画や文学で扱われている東京の音、東京の色々な場所での音の特徴に注目するようになりました。あのとき若林先生にお会いしていなかったら『TOKYO nude』という作品ができていなかっただろうと思っています。 Tekna TOKYOという僕のレーベルを作って2年が経とうとしていまして、今回の対談は2年目の最後の対談になります。『TOKY
若林 幹夫(わかばやし みきお、1962年[1] - )は、日本の社会学者。専門は社会学・都市論・メディア論[1][2]。博士(社会学)(東京大学・論文博士・1993年)。 東京都生まれ[1]。筑波大学附属駒場高等学校卒、1986年東京大学教養学部教養学科・相関社会科学分科卒業[2]、1990年東京大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程中退[2]。1993年「熱い都市冷たい都市」で博士(社会学)の学位を取得。1986年東京工業大学助手、1992年筑波大学社会科学系講師、99年助教授、2004年教授、2005年早稲田大学教育・総合科学学術院教授[1][2]。2016年早稲田大学大学院教育学研究科長[2]、2018年早稲田大学教育・総合科学学術院長ならびに同学部長(2022年まで)[2]。 空間や時間が社会環境に与える影響の研究から、現代社会の構図を読み解く。著書に『熱い都市 冷たい都市』(
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