和歌山とアヘン 不況救った「白い花の女神」 雪が降ったように一面白色だったケシ畑=1937年5月、湯浅町 ケシが栽培されていた頃を思い出す川瀬弘さん=湯浅町青木 ケシ栽培について、かつて近所のお年寄りたちがしていた話を思い出す栗山冨宏さん=広川町井関 和歌山とアヘン(上) 「上から見ると真っ白だった」。湯浅町で生まれ育った川瀬弘さん(86)は子ども時代を懐かしんだ。5月から6月ごろ、有田郡や現在の由良町付近はケシの白い花に埋め尽くされ、まるで雪が降ったかのようだったという。一方、子どもが近づくことは禁じられていた。「ケシを育てているところには入るな、と言われていたね」 広川町でミカン農園を営む栗山冨宏さん(82)は戦前のケシ栽培について、親や近所の人たちが「百円札を見たければケシを植えろ」と言っていたことを覚えている。当時の100円は、近年の数万円ほど。栗山さんが住む旧南広村(現・広川町)