<SNSを舞台にした「情報戦」は、ロシアのウクライナ侵攻でも大きな役割を果たしている。暗躍する「戦争PR会社」は、どんな働きをしているのか> サダム·フセイン大統領率いるイラクがクウェートに侵攻したのは1990年8月のことだった。 その後、イラク軍による占領では、略奪行為などが報告されていた。そして10月、クウェートから命懸けで脱出してきたという15歳のクウェート人少女のナイラは、米議会の公聴会に出席して、自らが見てきたイラク軍の残忍さについて涙ながらに証言した。 彼女によれば、イラク兵たちが病院に入ってきて、15人の未熟児を「冷たいコンクリートの床へ放り出し、保育器を奪っていき、死亡させた」と主張した。これが91年に勃発した湾岸戦争の開戦を後押しする要因の一つになった。 しかし、この証言は真っ赤な嘘だった。素性を隠していたナイラの正体は、実は駐米クウェート大使の娘。クウェートの要請でこの