攻められてから追放するという事後(リアクティブ)ではなく、事前(プロアクティブ)にしかるべき準備をして、迎え撃つくらいの体制を築きたいものです。 プロアクティブはリアクティブの残像です。 自分がこうなるだろうと思ってやったことは、「こうなるだろう」と思っているがゆえに何らかの結果を生み出すのですが、その結果に客観性を割り当てることはほとんど不可能です。なぜなら、視界から残像というバイアスを取り去ることができないからです。 「こうなるだろう」というある種の期待が伴わなければ身体は動かず、しかし、そう思うからこそ得られる結果は少なからず「こうなるだろう」の影響を免れることはできません。実際の結果が「こうなるだろう」からかけ離れたものになったとしても、そこから法則性を導きだそうとしたときに、基盤となるものが形式知化できない“残像”でしかないことに気づいてがく然とすることになります。 例えば、もの