インスタ映えのために写真だけ撮って食べ物は食べずに捨てるなんてことする人実際はほとんどいなくて都市伝説の域だと思うんだけど、まるでインスタ女子のほとんどがそうであるかのように語られるあたり何というか、宮崎事件他でオタクは異常者だって風潮になったのと現象としては同じだよね。
InstagramやらFacebookで写真あげてるのを「承認欲求のバケモノ」「誰も興味ねえよ」と攻撃したがるトンチンカンな奴をよく見るが、お前のその感情を胸の内にしまえずにSNSに投稿してしまう欲求には名前付いてないのかよ。
「あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校や職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期にありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。ほとんどの場合、このセリフは人望が無い人の口から出てくる。 いつも哲学している人や、いつも世界の重要事についてだけ考えている人は、世間には滅多にいない。いや、実のところ、「あいつらは内容の無いことばかり喋っている」と言っている本人だってそうなのだ。有意味なこと・重要なことだけを喋る人間など、まずもって存在しない。仮にいるとしたら、事務的な内容や数学の解法のような内容しか喋らない、ロボットじみた人間になるだろう。 少なくとも、「あいつらは内容の無いことばかり喋っている」などという、内容の無いことをペラペラ喋ったりはしないだろう。 「コミュニケーションの内容」より「コミュニケーションしていること」のほう
「あたしのほうが凄いのよ」 「オレのほうがカッコいいぜ」 と、すぐマウントをしかけてくる人がいる。はっきり言って、超かわいい。 まず、勝ち気なのがかわいい。 「あ、このまえ僕も20億ぐらいの取引まとめましたよ。今も3つくらい同時にやってます。」 なんて、最高のフレーズだ。 「まけないぞ!」っていう気迫をひしひしと感じるし、「自分のスゴさを知らせたい」というプレゼンテーションを力強く、熱心に、あんなに長時間やり続けることのできる熱意もいい。 人が何かに打ち込んでいる姿は感動をおぼえるけれど、マウントしてくるひとには同じものを感じる。 やる気も気力もない、ヌケガラのような人と比べて、なんとハツラツとしていることだろう。そう、そういう人達と会うと元気をもらえるのだ。 つぎに、「きいて欲しい」って訴えてくるのがかわいい。 自分の娘が「ねえ〜きいてきいてよー、おとうさん〜」とねだってくるのと同じで、
SOW@ @sow_LIBRA11 とある知己の音楽家の方がいて、ある日娘さんが「お父さんが死んだら、愛用ヴァイオリンも一緒にお墓に入れたげるね」と言ったので、激怒したそうだ。 2017-04-30 15:58:41 SOW@ @sow_LIBRA11 「いいか、これは何百年も前の職人が、技巧の粋を集めて作ったものだ。今まで何人もの人の手を渡ってきたものだ。所有権は私にあるが、それは現代において受け継いだということだ。私が死んだとしたら、次の者に託す義務があるのだ!」と、音楽家としてまっとうなことを言ったのだが、 2017-04-30 16:00:09 SOW@ @sow_LIBRA11 娘さんは泣きながら「お父さんの為を思って言ったのに!」とわかってくれない。しょうがないので「これ、捨て値で売っても二千万はするんだぞ」と言ったら「あ、じゃ燃やさない」と一瞬で理解してくれた。 2017-0
とりあえず言っておかないといけないと思ったので p-shirokuma.hatenadiary.com 『鉄血のオルフェンズ』を、私は傑作と評することはできません。ただ、ここでいう「傑作」とは、セールス良好で、みんなの話題と記憶に残るような作品になる、という意味です。この視点で言うと、『Vガンダム』『ガンダムF91』といった、一部の愛好家に熱烈に愛される作品は「傑作」に含まれません。もちろん『TV版の新世紀エヴァンゲリオン』も「傑作」に含まれず、どちらかというと『けものフレンズ』や『魔法少女まどかマギカTV版』あたりのほうが「傑作」という認識です。 って書かれているんですけれども、これって、とても、良くない価値観だと思うんですよ。 じゃあ、最初に世の中に公開されたときは、全然売れず一部の好事家のみ知っていた本が、100年後に日本中の全員が知っている本になったとして、(たとえば宮沢賢治とか)
手塚治虫のシュマリにまったく触れずにゴールデンカムイを読んですげえすげえって言ってるのを見ると、 ガンパレード・マーチを知らずにマブラヴオルタをすげえすげえ言ってた昔の自分を思い出してキュンとなりますhttp://anond.hatelabo.jp/20151005150750 「すげえすげえ」って言ってぜんっっっぜん問題ないと思うんですよ。褒め言葉なんて、どんどん手軽に気軽に、余計なこと一切考えずに、「すげえ」って思った瞬間に発していいと思うんですよ。そこに前提条件なんて必要ないし、褒めるのについて「越えておかなくてはいけないハードル」なんて必要ない。 何故かというと、褒め言葉で傷つくのは、「その作品が嫌いで、かつ「それが嫌い」ということがアイデンティティの一つになっちゃってる面倒くさい人」だけだから。今の時代、褒め言葉はめぐりめぐって結構創作者さんの元に届くもんで、それは創作者さんにパ
はっきり言って、私は独身者を見下している。 例外はあるけど、9割の独身者は見下し対象だ。 理由は、「自分がとっくにやり終わったことをまだやってるから」である。 大学の時は、そりゃもう遊んだ。 オールで飲んだり、小さなカフェを貸し切ってDJごっこしたり、彼氏がいないときは合コンも行ったり。 金はないので、飲むときは家飲みかさくら水産か公園だったけど、それはそれで楽しかった。 就職してからは、お金を使うことを覚えて遊びの質も変わった。 海外旅行も行ったし、三ツ星フレンチにも行ったし、ホテルのスイートでシャンパンパーティーなんかもした。 勢いでベリーダンスを習ったり、なぜかスカイダイビングしたりもした(あれはもう二度とやりたくない)。 給料日前はやっぱり金がなかったので、せんべろ立ち飲み屋で安酒ひっかけるのも楽しかった。 でも、そんな生活も続けると飽きてくる。 飽きる理油は、単純な消費だからだと
数年前の深夜、治安が悪い汚い街の、24時間営業の激安スーパーに行った。 その日は何かの帰りで、僕はなんだかとても淋しくて惨めな気分で、 なんとなく、普段は絶対行かないようなスーパーに寄ってみた。 どうせならどん底の気分に浸りたくて、200円の一番安い弁当を買って、 浮浪者に混じって路上で食べようと思ったのだ。 そのとき買った弁当はとりめしで、ご飯の上に錦糸卵が載っていて、 その上に味付けした鶏肉が載っている、シンプルなものだった。 食べてみて驚いた。美味しいのは予想していたのだが、 右半分の鶏肉は唐揚げで、左半分の鶏肉は照り焼きだったのだ。 僕はえらく感動してしまった。 こんな地域の激安スーパーの200円の弁当なんて、 腹を満たす、ただそれだけの為のものだと思っていた。 二種類の調理法をするってことは、それだけ手間もかかる。 しかし材料費は同じでも、手間の分、食べる楽しみが生まれる。 こん
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