タグ

田中ロミオに関するshimomurayoshikoのブックマーク (5)

  • 「CROSS†CHANNEL」「最果てのイマ」における物語可能性の取り扱いにおいての@tukinoha氏との応答

    「CROSS†CHANNEL」「最果てのイマ」における物語可能性の取り扱いについて(http://togetter.com/li/8693)をめぐり、「メシア的時間」という概念を示唆された@tukinoha氏と@crow_henmiとの応答。

    「CROSS†CHANNEL」「最果てのイマ」における物語可能性の取り扱いにおいての@tukinoha氏との応答
  • 田中ロミオ『人類は衰退しました』第8巻 - tukinoha’s blog

    個人的には今までで一番良かったと思うのですが、皆さんはどうでした? 扱われているそれぞれのネタは既視感があるというか、いつものロミオ節だなという感じなのですけど、組み合わせ方が抜群にうまいですね。第7巻の学級崩壊に関する話があまりひねりのない話だったので、第8巻の序盤でヤンママが出てきたときは「またか」と思ったのですが、まさか最後にあんな展開になるとは……。ちょっとほろりとくる、ある意味『人退』っぽくない話です。 人類は衰退しました 8 (ガガガ文庫) 作者: 田中ロミオ,戸部淑出版社/メーカー: 小学館発売日: 2013/02/19メディア: 文庫購入: 6人 クリック: 29回この商品を含むブログ (27件) を見るところで。 『人退』が衰退しつつある未来の社会を舞台にした現代社会の風刺劇であることは明らかであるとして、「普通ではない例外的な状況のなかにこそ物事の質が現れる」というひ

    田中ロミオ『人類は衰退しました』第8巻 - tukinoha’s blog
  • 田中ロミオ作『灼熱の小早川さん』の小早川さんがかわいすぎる - 主にライトノベルを読むよ^0^/

    田中ロミオ作の灼熱の小早川さんを読んだ 自体の感想は後から書くとして、今重要なのは小早川さんだ ヒロインの小早川千尋が2011年ベストヒロイン賞を与えたいくらいのかわいさだった 小早川さんは炎の剣を持った女子高生だ 入学から3日遅れで登校してきて堂々とした自己紹介でクラスに割って入ってきて以降、クラスメイトをぶった斬りまくる 飲酒をすすめてきた生徒を先生にチクリ、合コンに誘って来た生徒を淫売扱い そうして彼女はたった一週間で孤高の存在となってしまう ただそれだけならちょっと空気が読めないだけのよくある堅物委員長キャラと言えるかもしれない 小早川さんがすごいのは密かにとあるブログを運営しているということだ 以下にそのブログの記事を一部記載する タイトル 日二名 今日もくだらない学校に行ってくだらない授業を受けた。 引きこもりと今の私は、時間を浪費しているという意味で質的に同一の存在なん

    田中ロミオ作『灼熱の小早川さん』の小早川さんがかわいすぎる - 主にライトノベルを読むよ^0^/
  • Rewriteから派生して読むと面白い小説10選 - ここにいないのは

    間口は広く、切り方もかなり多彩に成り得るのですが、取り敢えず10作に絞ってみました。……それを名目に好きな小説を並べてみた感もあるのですが、まあセレクションが古臭いは禁句で一つどうぞ。 超人 「理解」(テッド・チャン、『あなたの人生の物語』所有) 『人間以上』(シオドア・スタージョン) 上は拡張された認識による戦闘描写の極地の一つ。ロミオ作品の戦闘描写への物差しとして最適です。 下は超人でありながら人としての出来そこないたちが集合し起こりうる何かを書いています。参考までに。 認識の進化 『果しなき流れの果に』(小松左京) 途端、意識と認知が縦方向に引き延ばされる。 事象は縦割り。 時間は交差する非論理の流れだと知る。 俺はハシゴをよじのぼっていく。 高く、どこまでも高く。 山よりも空よりも高く、宇宙よりも時間よりも上… そこからは、万物が見えた。 (Moon【ミラクル大冒険】より) ……か

    Rewriteから派生して読むと面白い小説10選 - ここにいないのは
  • 『最果てのイマ』論(1)―ためらいながら、他者を語る - tukinoha’s blog

    最果てのイマ 出版社/メーカー: ザウス【純米】メディア: CD-ROM購入: 4人 クリック: 172回この商品を含むブログ (42件) を見るブログの編集画面を開きながら、さて『最果てのイマ』について何を書こうかと考えている自分が酷く滑稽に思える。この作品を読まれた方ならわかるだろうが、ハイパーリンクが大量に埋め込まれた「はてなダイアリー」で『イマ』について書くというのは、それ自体がパロディのようなものである。私は批評をやりたいと思うが、それによって作品のオリジナルの意味に到達することは決してできない。どれだけ作品の意味を正確に捉えようと思っても、どこかにズレを抱えてしまう。これから書くことはあくまでもパロディなのだ。 しかし、それはテクストが多義的だからではない。例えばジャック・デリダの脱構築は、テクストの決定不能性を定式化したものと考えられがちであるが、デリダ自身が強調しているよう

    『最果てのイマ』論(1)―ためらいながら、他者を語る - tukinoha’s blog
  • 1