ラノベに関するshinepのブックマーク (2)

  • 「最近のラノベ」という禁句

    http://anond.hatelabo.jp/20151017150249 「最近のラノベ」はラノベ天狗召喚の呪文 ところで、どうしてライトノベルだけ「最近の」という枕詞がつくのだろう。 ツイッター検索したらわかるけど、「最近の純文学」も「最近のケータイ小説」も「最近のSF」も「最近のミステリー」も「最近の大衆小説」もないんだわ。 「最近のラノベ」というフレーズだけが大量に見つかる。 たとえば「最近の純文学」というフレーズを用いると、「最近の純文学ってなんだ? 綿矢りさの蹴りたい背中か?」「何言ってるんだあれ出版されたの2003年だぞ。もう10年以上も前だ。最近の純文学あげてみろよ」「ひ、火花……」みたいになって話が盛り上がらない。 そして「最近のケータイ小説」というフレーズを用いると、「最近のケータイ小説ってなんだ? あれだろ、映画化された恋空だろ?」「恋空も10年前の2005年に執

    「最近のラノベ」という禁句
  • ライトノベルは構造的に馬鹿にされる宿命にある

    ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。 定義が曖昧で、玉石混交で、定性的に評価されるもの全般のことね。 すると、自分の感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。 定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。 そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、 その架空の人形をサンドバックにするのは、とても簡単だ。 そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。 まず、ライトノベルの批判を否定形から追い込んでいく「無い」事の証明は難しい。 だから「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。 表紙がアニメ絵である。太宰治はライトノベルか? 表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。 だから、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙

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