南三陸町の津波による死者数は566名、行方不明者数が310名(12月28日現在)にも上った。 住民の大多数が「地震の後には津波」との意識が高かった地域でありながらこんなにも多くの犠牲者が出てしまった。防災対策庁舎では繰り返し「高台へ非難してください」と防災無線で呼びかけ続けていたが、まさかその3階建て庁舎屋上を2mも上回るとんでもない津波が襲ってくるとは、高台に避難していた人たちさえ目を疑ったことだった。 志津川中学校への坂から見た防災対策調庁舎(さらに海側に公立志津川病院)【9月3日撮影】 南三陸町の防災対策庁舎が赤い鉄骨だけになり町長の安否不明との第一報は、3月13日河北新報朝刊であったが、大震災当日の様子を報じたのは3月16日の朝刊だった 最後ま避難呼び掛け <3月16日 河北新報> 職員二十数人いまだ不明 「われわれ年寄りは生き残り、若い職員が流されてしまった