日本の玄関口である東京駅には、日本橋口・八重洲口・丸の内口の3方向に出入り口が設けられている。そのうち、帝都・東京の象徴ともいえるのは赤レンガが目を引く丸の内口だ。 明治初期、日本に鉄道が開業したころ、欧米各国は鉄道機能を集約した中央駅をつくっていた。対して、日本の首都たる東京では西へと向かう新橋駅、北へと向かう上野駅といった具合に、ターミナル駅が方面ごとに分散していた。 鉄道を開業させたばかりの日本でも、中央駅の必要性は論じられていた。そして、明治半ば頃から中央駅の計画が進められる。 「中央停車場」として計画 政府首脳は世界から一等国と認められるために、中央駅の駅舎に品位と風格と威厳を求めた。それらを兼ね備えた駅舎でなければ、世界から一等国と認めてもらえない。駅舎デザインは、その国の文化や技術を表す指標であり、文明国にふさわしいものをつくらなければならない。政府首脳はそう考えていた。 し