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人生とkawangoに関するsigure22のブックマーク (3)

  • 人生の賞味期限について - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    以下のブログで書かれていたことについて思ったことを書いてみる。 現実を直視しながら理想を持ち続けることの難しさ、人生の「賞味期限」 筆者の佐藤航陽氏が書くところによると、人生には「賞味期限」があるという。人間が一生の間に持っているエネルギーには限度があり、そのエネルギーは人生の中で減っていく、 なにかに挑戦するにはエネルギーが必要で、エネルギーが枯渇してしまうと、いくら挑戦できる十分な知識と経験があっても、もはや挑戦は できなくなる。このエネルギーが残っている期間を「人生の賞味期限」と呼んでいるということらしい。 ぼくのあまり長くはない人生経験からしても、こういう人生の賞味期限といったものは 当に存在すると思う。 人生の賞味期限がなぜあるのかは単純で、佐藤氏が書いているように現実を直視しながら 理想を持ち続けることが難しいからだ。 簡単にいうと、世の中を変えようと、ある理想を実現しようと

    人生の賞味期限について - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 弟の相談を笑っていたら死にやがったw

    2年前、弟が自分のマンションの風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。 先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。 父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。 アル中気味の父親は

    弟の相談を笑っていたら死にやがったw
  • 年を取るというのはどういうことか考えてみた - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ぼくは20歳のころから老化による自分の能力の低下に対する恐怖があった。 たぶん、そういうひとはほかにも多いと思う。 いったい何歳まで自分は働けるのだろう。年を取ったときにどれぐらい能力が現実問題として下がるのかということにずっと関心をもって、自分のまわりを観察してきたのだが、現時点での結論を簡単に書いてみようと思う。ぼくの主観的な感覚なので正しいかどうかはわからないし、どの程度、一般性があるのかどうかもさだかではないが、実際のところ、年をとるっていうのはどんなかんじなのという疑問への回答のサンプルにはなるだろう。 (1)記憶力 子供の時分から他人よりも物覚えが得意なタイプのひとがいる。ぼくもそのタイプだった。特に努力をしなくてもいろんなことを覚えてしまう。 テストの点数もそこそこいい。こういうタイプは20歳を過ぎるころから記憶力の低下に苦しむことになる。 記憶力というのは分かりやすい指標な

    年を取るというのはどういうことか考えてみた - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
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