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戦国に関するsinoda2のブックマーク (2)

  • 『おあむ物語』に記録された戦国のおさむらい一家の生活ぶり : 関ヶ原ブログ

    ブログネタ:戦国時代 に参加中! 前回とりあげた『おあむ物語』。(⇒こちら参照) 関ヶ原の戦い時に大垣城にいて、男たちが戦場でとってくる敵の首に死化粧をほどこした、という実に生々しい描写が印象的でしたが、この『おあむ物語』には、おあむの幼少期の貧乏生活の模様が書かれており、さらにはそれを述懐するおあむの説教メッセージも載っています。 現代にも共通する(かもしれない)おあむばば魂のメッセージを、ばばに代わってこの私がお届けします(笑)。 ※ちなみに写真は茨城県にある間宮林蔵の生家です。一つのイメージとして、ということで。 ■貧しきおあむの幼少期 おあむは幼少期は近江(滋賀県)彦根に住んでいました。父親である山田去暦は300石取りの身分でしたが、実はこの時期が戦国武士にとってはなかなかつらいところ。何しろ、戦が多く、去暦もあっちこっちへ転戦していたのです。そして、そのたびに自分の知行地分の部下

    『おあむ物語』に記録された戦国のおさむらい一家の生活ぶり : 関ヶ原ブログ
  • 『おあむ物語』にみる、関ヶ原の戦いでの女性の役目とは? : 関ヶ原ブログ

    ブログネタ:戦国時代 に参加中! 戦国時代といえば戦いの連続。武士を中心に男たちの戦いというイメージが強いかもしれませんが、女性も戦っていました。 当時の女性の語りを記録したという、『おあむ物語』には、関ヶ原の戦いのころの女たちのある「仕事」が記されています。かなーり、きつーい役目をやらされております…。日はそれをご紹介します。 ■生首の歯に墨を塗る仕事 おあむは、石田三成の臣・山田去暦の娘である。 そのおあむは大垣城の中に居た。 いまはもう石田三成らの西軍軍勢は関ヶ原に向かってしまって城にはいなかった。大垣城には守将の福原長堯の守兵がいるのみである。 城には、おあむの他にも女性や子供がいた。 おあむなどは、母親も共にいた。 おあむの母は、「味方のお役にたちたい」と言って、以前から天守に登って鉄砲玉を鋳造したりしていた。 おあむも母について天守に行ってみた。そこで仰天する光景を目にした。

    『おあむ物語』にみる、関ヶ原の戦いでの女性の役目とは? : 関ヶ原ブログ
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