前回の概要 ネットで文章修行は本当に必要か? - 萌え理論Blog ネットで受けるコンテンツは、ネタの面白さのウェイトが大きい。それに、「あ、ぽこたんインしたお」*1のように、伝統的からやや離れた日本語のほうが広まる。そもそも、文芸の世界でも、ケータイ小説のほうが、多く読まれているだろう。 というわけで、ネットで公開して注目を集めたいといった場合、文章術に執着する意義はあまり見出せなかった。だが、この話はまだ終わりではないのだ。 前回のエントリでは、「手段の自己目的化(自己満足的な文章作法へのこだわり)」と、「目的のためなら手段を選ばない(受けを狙うならなんでもあり)」という、目的−手段の二項対立の構図をあえて描いた。 しかし、目的と手段の間には、もう少し微妙な関係が存在する。ここではそれを、思考と言語という対に置き換えて、そもそも言葉を書き記すということが、どういうことなのかを考察したい