日本の航空機業界大手は防衛省の戦闘機や輸送機などを開発してきた。圧倒的な技術力や実戦経験を持つ米国と違い、日本の業界大手は高性能の機体を開発することは至難の技だった。 その開発の現場で汗を流してきたのが航空自衛隊や海上自衛隊のパイロットOBたちだ。日本の国防技術力を支えてきたOBたちの知られざる活躍を追った。 防衛省と日本の航空機業界にとって長年の悲願は国産戦闘機の開発だった。それは1980年代に自主開発の可能性があったが、米国の圧力に屈し、結局は共同開発に持ち込まれた。 ただ、共同開発と言っても、米国側は技術を出し惜しみし、日本が持っていた複合材やレーダーなど先端技術は取られてしまった。米国の非協力的な姿勢ゆえ、日本は難しい機体の制御技術などに挑むことになった。 日米共同開発機「F2」の申し子、渡邉吉之氏 そこで大活躍したのが航空自衛隊のエースパイロットだった渡邉吉之氏である。彼は199