当連載では、漢字改良に挑んだひとりの人生をその著書を通じて書いてきたが、今回は文字自体に焦点をあてる。とりあげるのは前回に引き続きビットマップフォントだ。 前回の記事で明らかになったのは、次のような結論だ。 ビットマップフォントは何かを差し引くではなく、線を重ね合わせ、シェアすることでドットに複数の役割をもたせる。極限まで省略されているようで、実は何も省略していない。 世の中に明朝体と呼ばれる書体が複数ある。同じようにビットマップフォントもさまざまな企業からリリースされている。8ドットや9ドットのビットマップはギリギリまで削減されているように見えた。しかし、このギリギリのなかに取りうる選択肢がフォントの数だけ存在するのだろうか?それとも概ね同じ形に収斂されてゆくのだろうか? 収斂されてゆくのであれば、それが(9ドットの)究極の到達点であり興味深い。また大きな違いが生じるのであれば、簡略化の